「ドン」死去で自民党茂木派内の力関係どうなる? 青木幹雄氏と茂木幹事長は折り合い悪かった

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「ドン」死去で自民党茂木派内の力関係どうなる? 青木幹雄氏と茂木幹事長は折り合い悪かった

青木幹雄氏(00年5月)

【写真】逝去した青木幹雄氏を悼んだ茂木幹事長

 島根県出身。同郷で早大雄弁会の先輩でもあった竹下登元首相の秘書や島根県議を経て、86年参院選で初当選した。当選4回。99年、小渕内閣で官房長官として初入閣。00年4月、小渕恵三首相が脳梗塞で倒れた際には首相臨時代理として対応に当たったが、後継首相を決める過程で自身を含む当時の自民党実力者「5人組」による協議が、「密室政治」と批判された。

 旧竹下派の流れをくむ平成研究会(現茂木派)の実力者として、政局観にもたけていた。03年自民党総裁選では小泉純一郎首相の再選阻止に動いた野中広務元幹事長らと対立。自派の参院議員の票をまとめ小泉氏再選に道筋をつけた。体調不良を理由に10年参院選に出馬せず、政界を引退したが、引退後も国会近くに事務所を構え、多くの議員が「青木詣で」を続けた。

 現在茂木派会長の茂木敏充幹事長とは折り合いの悪さが指摘され、茂木氏の幹事長起用や派閥会長就任を快く思っていなかったとする関係者も多い。青木氏の死去で、青木氏の影響力が残る派閥内の参院議員と茂木氏の関係が今後どうなるか、関心が注がれている。

 長男の一彦氏によると、青木氏は5月の大型連休明けから体調を崩していたという。昨年11月、森喜朗元首相や小渕優子組織運動本部長らとともに、母校早大内の施設で青木氏と会食した岸田首相は「日本の政治史に大きな功績を残された。心から哀悼の意を表する」と、悼んだ。

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