人気アナ高樹千佳子さんは、なぜ第二の人生を歩み始める決断をしたのか?|STORY

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元フリーアナウンサー 高樹千佳子さん

人気アナ高樹千佳子さんは、なぜ第二の人生を歩み始める決断をしたのか?|STORY

引用元:STORY

私は“一握り”ではないと区切りをつけたことが新たな人生への希望へと変わりました

高樹さんが前職のフリーアナウンサーになるきっかけは、大学2年のとき。週刊文春の「女子大生写真館」に掲載され、芸能事務所セント・フォースの社長からスカウトされたことです。大学3年の夏には、めざましテレビのお天気キャスターの座を射止めました。「普段から見ていたテレビの世界。放送1カ月前にメインキャスターやスタッフの方々と顔合わせをし、ようやく実感しました」と当時を振り返ります。

こうして高樹さんは、フリーアナウンサーとして順風満帆のスタートをきったのです。’02年~’05年までの3年間、同番組で晴れの日も雨の日も視聴者に元気を届けてくれました。その後、ステップアップするように「めざましどようび」のキャスターに就任。さらにスポーツ番組「すぽると!(フジテレビ系列)」にも出演し、テレビの世界で活躍の場を広げていきます。

順風満帆の滑り出しの一方で、悔しい思いをすることもあったそう。「椎間板ヘルニアが悪化したことで、現場で取材をすることができなくなりました。誰かが行った取材ではスタジオで自分の言葉で伝えることができません。続けたい思いはありましたが、結局’10年に番組を降板することになりました」。

30代に入ると、仕事もプライベートも徐々に変化していきました。「明らかに仕事が減っていきました。私は34歳で結婚し、37歳で女の子を出産しました。育児は楽しいのですが、社会から置いていかれる不安が募りましたね」。

そして娘さんが1歳になる’17年頃、高樹さんは引退し、第二の人生を歩み始める決断をしました。「アナウンサーは、世代交代が速い職業です。30代でも活躍し続けるには実力だけでなく、人気や運が必要です。ましてや女性の場合、出産・育児でライフステージが変わる中で、第一線に残れるのは一握りです。私はそっちではないと…」。

そしてこれまでの仕事を振り返ったとき、一つの区切りがついたそうです。「どの仕事も、楽しく、やりがいがありました。身の丈以上の仕事には、成長のチャンスと捉えて必死にやり抜きました。大好きな音楽からつながった仕事も、楽しみました。両方経験させていただき、やりきったと思えたんです。このまま求められていない場所にい続けるよりも、心機一転、新たな道を歩みたいと」。2~3カ月考えた末に辿り着いた結論は、希望に変わっていました。

新しい道は、企業への就職でした。会社員の経験をしたかったからだそう。まず興味のあった住宅・不動産業界に的を絞りました。そして年齢的にも武器を身につけようと“宅地建物取引士”の資格を取得することに。猛勉強の末、’18年に資格を取得。翌年、転職活動を経て、オープンハウスグループへの入社が決まりました。「就職活動中は、育児と仕事の両立ができるか不安でした。けれど一次面接の面接官の方が両立されていて、安心できました」。

’19年5月。入社した当時は、わからないことばかりだったそう。「会社員として働くことが初めてで、ビジネス用語がわからず戸惑いました。そんな私に、同僚たちは面倒がらずに一つ一つ教えてくれました。本当に感謝しています」。

今年で入社5年目。「成長企業がゆえに、目まぐるしくもさまざまな業務にチャレンジできています。その一つがスポンサーをしているラジオ番組のパーソナリティです。街の魅力を紹介する情報番組で、前職のノウハウを活かせる仕事です。必要とされる環境で経験を積ませてもらえ、やりがいを感じています」。

最後に、今後について話してくれました。「仕事では後輩を育てることですね。チームで仕事をするためには後輩たちにまかせることも必要ですが、つい自分で抱え込んでしまいがちです。そこは今後の課題です。プライベートでは、娘がもう少し大きくなったら、自分の成長のために、時間を使いたいですね。例えばもっと本を読んだり、映画を観たりしたいですね。少し先ですが、楽しみにしています」。

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