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慰霊登山を前に妻・玲子さんの最期を語る丹羽隆文さん。当時の水筒とともに被災した御嶽山の八丁ダルミを目指す(岐阜県各務原市で)=青木瞭撮影
死者・行方不明者63人を出した2014年9月の御嶽山(3067メートル)の噴火から9年となるのを前に、王滝口登山道の王滝頂上と山頂・剣ヶ峰をつなぐ尾根「八丁ダルミ」の立ち入り規制が29日、噴火後初めて解除される見通しとなった。長野県などは解除に先立ち、希望する遺族らによる慰霊登山を23日に行う予定だ。夫婦で登山中に妻・玲子さん(当時61歳)を亡くした岐阜県各務原(かかみがはら)市の丹羽隆文さん(69)は、噴火後初めて妻と死別した場所に立ち、「魂を連れて帰りたい」と願っている。(柳沢譲)
【動画】御嶽山の噴火から8年…山頂下の「八丁ダルミ」を見つめる野村正則さん(2022年撮影)
「長かった。もう少し若いうちに行きたかった」。丹羽さんは9年近い時の流れを惜しむ。規制解除に時間がかかったのは、避難壕(ごう)(シェルター)2基の設置などの安全対策を慎重に進めてきたためだ。丹羽さんはやむを得ないと受け止めているが、「以前は行く気満々だったが、最近は体力的に不安がよぎる」と明かす。
丹羽玲子さん
21年9月に希望する遺族らに限って八丁ダルミの一部の立ち入りが許可され、丹羽さんも初めて次男(43)と2人で歩いた。玲子さんと死別した場所まで残り約150メートルまで近づいたが、防災上そこで足止めとなった。両手を合わせた時、足がけいれんし、ふらふらだった。「初めての経験で驚いた」と振り返る。今回は登山開始を少し早め、無理のないペースで登るつもりだ。
丹羽さんには、果たさねばならない玲子さんとの約束がある。
噴火当日、八丁ダルミで休んだ時、噴煙に気づき、とっさに噴火と判断した丹羽さん。近くの岩(幅約1メートル、高さ約80センチ)の陰に隠れた2人に、大量の噴石と火山灰が容赦なく襲いかかった。大腿(だいたい)部付近に大けがを負い、丹羽さんの腕の中で弱っていく玲子さんは「お茶が飲みたい」と訴えた。口の中は火山灰にまみれ、水筒のお茶を飲ませようとしたが、むせてはき出してしまった。
「玲子、玲子!」
(写真:読売新聞)
必死の呼びかけにもやがて応じなくなり、胸の鼓動が止まり脈が取れなくなった時、丹羽さんは単独下山を決意した。自らも右肩骨折と、切り傷や皮下出血のため、ほぼ全身が真っ黒になる状態。「絶対に戻ってくるから」と約束し、約300メートル離れた山小屋に約30分かけてたどり着き、救助された。
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