『タモリ倶楽部』のミニコーナー「空耳アワー」で“空耳役者”として活躍した野田美弘 (C)oricon ME inc.
今年3月、惜しまれながら40年に渡る歴史に幕を閉じた『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)。なかでも、1992年にスタートした「空耳アワー」は絶大な人気を誇り、同人誌やファンサイトが生まれるほど。視聴者から「日本語に聞こえる洋楽のフレーズ」を募集し、投稿を再現するVTR(映像)の巧みな演出で深夜に笑いを届けた。この映像のなかで独特な輝きを放っていた“空耳役者”は、今、どうしているのだろうか? 1998年から25年にわたり数々の“空耳作品”に出演してきた俳優の野田美弘に、“空耳役者”としての矜持、そして放送終了後の今について聞いた。
【完全撮りおろし写真】これぞ“空耳役者”の真骨頂…野田の表情が豊かすぎる、名作『めっちゃ酸っぱ』完全再現
■25年前、Tシャツ獲得作品で“空耳”デビュー「夢見心地で何役だったか覚えていない」
「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえる」の口上で始まる『タモリ倶楽部』の人気コーナー「空耳アワー」。“空耳役者”として出演していた野田が番組の終了を知ったのは、テレビ朝日が定例会見で発表したその日のことだった。
「ビックリしました。というのもその前日に、普通に空耳のロケをやっていて、いつも通り『お疲れさまでした』『またよろしくお願いします』と言ってスタッフの方々と別れたんです。『昨日、誰も何も言ってなかったけど!?』って。まぁ、極秘事項だったでしょうから仕方ありませんけど、また会えると思っていた人に突然別れを告げられた気分で、衝撃はすごく大きかったです」
野田が「空耳アワー」に初出演したのは、1998年11月13日放送回。元ネタはジョアン・ジルベルトの「二人の愛~フェリシダージ」で、バスの中でスリを目撃した男のひと言「うわ~抜いている」(「O ANO INTEIRO」)。Tシャツを獲得した良作だったが、自分がどんな役で出演したかは覚えていないという。
「所属する事務所を通じて出演依頼が来たのが始まりでした。毎週番組を楽しみに見ているファンだったので、出てみたいという気持ちはありながらも、当時の僕にとっては『ハリウッド映画に出たい』と言うのと同じくらい現実的ではないこと。なのでオファーをいただいたときは、ビックリしましたね。実はこの作品、出演したことは間違いないんですが、自分がスラれた客役だったのか、その他の乗客の役だったのか、覚えていないんです。撮影当日も、半分お客さんみたいな気持ちで夢見心地だったことだけは、覚えているんですけどね(笑)」