もし24年前に世界が止まっていたら「ウクライナ戦争はなかった」 ロシアへの“無関心”を批判

プーチン大統領
プーチン大統領(ロシア大統領府)

7月末、ロシア人の反政府武装組織幹部らがプーチン政権崩壊後のロシアを議論する会合に参加するため来日した。その中で、分離独立派の幹部から「世界の無関心がウクライナ侵攻を引き起こした」と、ロシアの民族問題に対して国際社会が真剣に向き合うことを求める声もあがっている。(国際部・坂井英人)

■「プーチン後」を議論

プーチン政権崩壊後のロシアの国家像や少数民族の分離独立を議論する「ロシア後の自由な民族フォーラム」が8月1日、永田町の衆議院第一議員会館で開催された。参加したロシアの反体制派組織幹部や少数民族の分離独立派は「反プーチン」で歩調を合わせたものの、新しい国家像を目指す際に、少数民族組織の代表らとの間で立場の違いが明らかになった。ロシア自由軍団政治部門幹部のイリヤ・ポノマリョフ氏は、分裂を望まない立場を取りながらも、少数民族組織の意見にも配慮している。

■「世界のチェチェンへの無関心がウクライナ戦争を招いた」

![神戸学院大学 岡部芳彦教授](https://jp24h.com/wp-content/uploads/2023/08/20230820-02441921-nnn-001-2-view.jpg)
神戸学院大学 岡部芳彦教授(2023年8月1日 都内)

各参加者が発言を終えた終盤、この日議長を務めたウクライナ研究者で神戸学院大学の岡部芳彦教授は会合について「ロシア連邦の帝国主義的・植民地主義的政策に抑圧されてきた諸民族の本当の声を聞くことができたのは我々にとって非常に貴重だった」と締めくくった。

チェチェン・イチケリア共和国“外相” イナル・シェリプ氏
チェチェン・イチケリア共和国“外相” イナル・シェリプ氏(2023年8月1日 都内)

特に注目すべきは、ロシア南西部・チェチェンのカディロフ首長と対立し、分離独立を目指す「チェチェン・イチケリア共和国」亡命政府の“外相”イナル・シェリプ氏の発言だ。彼は「ロシアの民族問題に対する世界の無関心がウクライナ戦争を招いた」と指摘している。

1994年にロシア軍が武力行使して始まった第1次チェチェン紛争は96年に休戦しましたが、1999年、プーチン氏が首相に就任したほぼ同時期に第2次チェチェン紛争が始まりました。シェリプ氏によると、これまでにチェチェン人30万人の命が失われ、そのうち約8万人は子どもだったとのことです。

シェリプ氏は、「(第2次チェチェン紛争が始まった当時)世界はそれをロシア国内の事情と見なし、黙っていました。もしあの時、世界が関与し、あの戦争を止めてくれていたら、その後のジョージアへの侵略も、またウクライナの戦争もなかったでしょう」と述べました。

参照リンク: 日本ニュース24時間