「あの日30秒、何を思ったの?」帰らぬ娘への母の問いかけ

平成の記憶 社会に衝撃を与えた事件

娘の眠る墓がある先には、長い石段が続いている。小林幸子さん(77歳)は葛飾区で、猛暑の8月に手すりを頼りに、足元が不安定になりつつもゆっくりと上っていく。息切れし、何度か躓きそうになりながら、ようやく辿り着くと、表情が少し和らぐ。「順子、来たよ」とやさしく墓石をたたき、じっと目をつむる。心の中でずっと同じ言葉が浮かんでくる。「あの30秒間、あなたはどんな思いだったの?」。返答は得られないことはわかっていながら。

【平成の記憶 社会に衝撃を与えた事件】

順子さん(当時21歳)は1996年9月9日、自宅で何者かに命を奪われ、放火されました。その日、幸子さんは午後から美容室で仕事をする予定でした。ただ、留学予定の順子さんだけが家にいました。約1時間後に、家から火が上がっているのが見つかりました。

幸子さんは焦って家に戻り、案内された場所は病院ではなく、警察署でした。「なぜ病院じゃないの? 順子はどこ?」。恐れて尋ねることができなかったが、ほどなくして夫の賢二さん(77歳)から事情を知らされました。「順子がいないと生きていけない」と、半ば狂乱になって泣いてしまいました。その後、ずっと娘のことを追うことしか考えられませんでした。

幸子さんにとって、順子さんはいつまでも「甘えん坊な娘」でした。いつも幸子さんのそばにいて、「髪をポニーテールにして」「朝ごはんは何を食べるの?」とねだったり、尋ねたりしました。

そんな寂しさを感じないようにするために、49日間の入棺まで毎朝、骨壺を膝の上に乗せて抱きしめました。家族がまだ眠っている中、二人だけの静かな時間を過ごすことで、自分たちはずっと一緒。だから大丈夫、と思うことができるようになりました。

仏壇には毎朝晩、家族と同じ食事を供え、できるだけ明るい話題を投げかけてきました。旅行には順子さんの写真を持って行き、同じ景色を眺めます。いつも一緒。そうすることで、奪われた順子さんと家族の人生を繋げてきました。

今でも犯人の特定はできていませんが、当然ながら憎しみはあります。「執念だよ。怨念だよ。恨み殺すんだよ」と、仏壇の前で語ることもありました。でも、その日々にしだいに虚しさが湧いてきて、「まずは順子を安心して成仏させてあげたい」と考えるようになりました。それ以来、怒りや抱えきれない悲しみは胸にしまっています。

ただ、涙を堪えることができない時があります。「襲われて30秒くらいの間に亡くなられたと思います」と。事件直後、捜査官から伝えられたその一言を思い出すときです。事件の光景や娘が最期に思ったであろう気持ちを想像すると、胸が張り裂けそうになります。

そんな時に墓に行くと、不思議と気持ちが穏やかになります。「あの時、あなたは何を思ったの?」。この27年間、心の中で何度も問いかけてきました。順子さんは答えてくれませんが、墓の前で問いかけることで、甘えん坊な我が子と心が通じ合っているような気持ちになれます。そのような時間が、幸子さんを支えてきました。

電車とバスを乗り継ぎ、自宅から約1時間かかる墓参り。かつては毎週欠かさず行っていましたが、新型コロナウイルスの流行や高齢により、現在は年に6回程度に減りました。「歳を取って、体力も気力も確実に衰えてきていて……。事件の解決は、私たちがいなくなってからかしら」と、焦りがにじみ出ています。

8月下旬の墓参りの時、幸子さんは帰り際に自分自身に言い聞かせるように言いました。「順子、またすぐ来るからね」。【岩崎歩】