「虚無に刻まれた歴史のファミリー邸」– 石原慎太郎邸の解体、その素顔と死生観

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FNNプライムオンライン

2022年2月1日、東京都知事を務めた石原慎太郎氏がこの世を去りました。彼が暮らした田園調布の自宅は現在、解体されています。

玄関から覗く、1人が住めるほどの広さ

石原氏は、作家として、国会議員として、そして都知事として、日本社会に大きな足跡を残しました。私はこの家に初めて会うために、石原氏とのインタビューのために訪れました。その時のことは今でも鮮明に思い出されます。

当時、まだ20代の新人記者だった私は、先輩から石原氏はとても厳しい政治家だと聞かされていました。緊張しながらインターホンを鳴らすと、大きくて重い玄関のドアが開き、石原さんがにこやかに立っていらっしゃいました。

カジュアルなサマーセーターを着ており、私がフジテレビの記者だと名乗ると、「おっ。どうも。どうぞあがってください」と優しく声をかけてくださいました。

彼は優しいおじさんのような印象を与えました。石原邸の玄関は、1人が住めるほどの広さがありました。玄関に入ると右には小部屋がありましたが、これは一体どういう使われ方をしているのだろうと思っていました。後に石原氏が都知事になった後は、SPの待機場所として使われていることがわかりました。

私は石原さんに促されて家の中に入りました。玄関を左に曲がると、奥の方に広々としたリビングルームがありました。テレビを見るためにソファがサークル状に配置されており、一度に15人以上が座れるほどの大きさでした。窓の外には庭が広がり、椅子やテーブルが配置されていました。

部屋の脇にはお酒が飲めるようなカウンターもありました。

石原氏に案内され、リビングの巨大なソファの一角に座ると、奥様の典子夫人がにこにことした表情で現れ、お茶を出してくださりました。

インタビューでは、都知事に立候補する理由やスポーツや趣味についても聞きました。石原氏は、自分が映ったヨットやテニスの動画を見せようと、テレビの下にあるビデオ棚からビデオを何本か取り出し、ビデオデッキに再生して見せてくれました。

私はその後、5年にわたり石原氏の番を担当することになりますが、このようなホスピタリティーを受けたのはこの時だけでした。都知事になった後は、マイクを向けても素通りされたり、カメラを向けると「すごい剣幕で撮るな」と言われたり…石原さんは怒ると迫力がありました。

この記事の画像は元記事より引用しています。

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