きつね・大津 母が働き詰めだったゆえに…起こした騒動「母親が寝るというのを知らんから」

きつね

お笑いコンビ「きつね」大津広次(34)が、23日放送のテレビ東京系「有吉ミュージックフェス」(後7・58)にVTR出演し、貧乏時代の家族のエピソードを披露しました。

大津の貧乏生活の始まり

大津の貧乏生活は、幼稚園時代に始まったといいます。「幼稚園くらいの時に、父親に当たる人が会社をやっていたんですけど、手形を悪い人に持ち逃げされてもうて。会社をつぶすことになってしまった。倒産という形で。何億くらいの借金ができてしまって」。両親は離婚し、父はフィリピンへ逃亡。保証人になっていた母が、数千万円の借金を負う生活になってしまいました。

取り立ての恐怖

「お金を借りていたところが悪いところやったらしくて、きつい取り立てが来るんです。よう漫画で見るような」。取り立ての恐怖から逃れるため、つてを頼って住んだのが、リフォーム中で誰も住んでいない家。「ガランとした木だけの部屋。電気も通ってへんから。ガスも通ってないと思います。水道通ってたんかな?とにかく人の住む家じゃなかった」と振り返りました。

21時間働く母

大津は3人兄弟。借金取りに見つからないように、家族4人が息を殺して生きていました。「お母さんは借金返さなあかんからずっと働いてましたね。21時間くらい働いてました。休憩なしの21時間くらい働いてました」。母は朝に駐車場の草むしり、昼は家具店、夜は飲食店やスナックで、4つの仕事を掛け持ちしていたそうです。大津が1日に母と会えるのは、食事を届けに戻る、ほんの3分ほどの時間だけだったと言います。

母親の「寝ない」誤解

寝ずに働き続ける姿から、大津は「母親は寝ないもの」という勘違いをしていました。そのため、ある日、大騒動が。「1回だけ家で仮眠を取ると言って、寝てたんですよ。母親が寝るというのを知らんから、死んだと思ったんですよ。家族全員起こして、母親が死んだって、大騒ぎしたのをめっちゃ覚えてます」と明かしました。

母への愛情

当時の思い出の曲を聴かれると、テレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」を挙げました。母が働くスナックに行くと、母がよく歌っていたといい、「何より会えてうれしい。何を思うというより、会えていることがうれしい」と、母への強い愛情を口にしていました。

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日本ニュース24時間へようこそ。今回は、お笑いコンビ「きつね」の大津広次さんが、貧乏時代の家族のエピソードをテレビで披露しました。

大津さんの貧乏生活は、幼稚園の頃から始まりました。父親が会社を経営していたのですが、手形を持ち逃げされてしまい、会社が倒産。何億円もの借金を抱えることになりました。両親は離婚し、父親はフィリピンへ逃げてしまったため、母親が保証人となり、数千万円の借金を背負うことになりました。

借金取りからの取り立てに怯える日々を過ごす中、家族は誰も住んでいない部屋に身を寄せました。暗い部屋での生活はきつかったそうです。大津さんは兄弟と共に、借金取りに見つからないように生きていました。

母親は借金返済のために大変な努力をしました。朝は駐車場の草むしり、昼は家具店で働き、夜は飲食店やスナックでアルバイトをしていました。一日に母親と会える時間は、ご飯を届けるための数分だけだったそうです。

母親は寝ずに働き続ける姿勢で、大津さんは「母親は寝ないもの」と勘違いしていました。ある日、母親が家で仮眠を取るということを知らず、大津さんは母親が亡くなったと勘違いしてしまいました。家族全員が騒ぎ立て、大変な思い出となったそうです。

大津さんにとって、母親の存在は非常に大きく、母親が働くスナックに行くと、よく歌っていたテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」の曲を聴くと、母親との思い出がよみがえります。母親と会えることに喜びを感じ、母親への深い愛情を口にしていました。

このように、大津さんの家族の貧困体験は、多くの人々に勇気と感動を与えるものです。家族の絆や愛情が貧困を乗り越える力になることを改めて感じさせられました。

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