中国建国75周年:国民は何を祝うのか?深センの悲劇から考える「国慶節」の意味

10月18日、中国・深センで日本人学校の児童が命を奪われる痛ましい事件から1か月が経ちました。ご遺族の悲しみは計り知れず、日本政府は中国側に事実関係の説明を求めていますが、未だ明確な回答は得られていません。

このような悲劇が起こる一方で、10月1日は中国建国75周年の記念日として、盛大な祝賀ムードに包まれていました。75年という歳月の中、中国は大きく発展を遂げましたが、その裏側で犠牲になった人々や隠蔽された真実も少なくありません。

北京の華やかさと「低ランク住民」の現実

5年前、建国70周年の国慶節を前に、北京では出稼ぎ労働者の子供たちを支援する団体の責任者から、ある話を聞きました。

「子供たちを天安門広場で行われる国慶節の祝賀イベントに連れて行ってほしい」

保護者からこんな依頼が後を絶たなかったといいます。しかし、それは叶わぬ願いでした。なぜなら、北京市政府は、彼らのような貧しい出稼ぎ労働者を「低ランクの住民」とみなし、国慶節の祝賀イベントに近づくことさえ許していなかったからです。

2017年に北京市共産党委員会書記に就任した蔡奇氏は、習近平国家主席に「清潔で整頓された北京」を見せるため、「低ランクの住民」を強制的に立ち退かせる政策を進めました。真冬にもかかわらず、住居を追われた人々は少なくありません。

華やかな祝賀イベントの裏で、厳しい現実を突きつけられている人々が大勢いるのです。

50年前の「国慶節」と知識人の苦悩

1999年、中国は建国50周年を迎えました。当時、中国社会科学院米国研究所の創設者である李慎之氏は、「国慶節の夜の独白・嵐の50年」というエッセイを発表し、大きな反響を呼びました。

李氏は、50年前の建国記念日に見た軍事パレードと、50年後の軍事パレードを比較し、「同じ熱狂、同じ壮観さだが、私の心境は全く異なる」と述べています。

彼は、建国当初の理想と現実のギャップに苦悩し、中国社会が抱える矛盾に警鐘を鳴らしました。しかし、彼の言葉は中国共産党によって弾圧され、現在では知る人ぞ知る存在となっています。

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深センの事件と「国慶節」の真の意味

中国建国75周年。それは、経済発展や国際的な地位向上を祝うだけの祝日なのでしょうか?深センで起きた日本人学校児童殺害事件は、私たちに「国慶節」の真の意味を問いかけています。

中国は、経済成長の影で、言論統制や人権侵害などの問題を抱えています。真の祝賀とは、国民一人ひとりの人権と安全が保障され、誰もが幸せを実感できる社会の実現があってこそではないでしょうか?

私たちは、中国の歴史と向き合い、その光と影を理解した上で、未来に向けて共に歩んでいく必要があります。