【西田敏行さん死去】「ファミリーヒストリー」で明かされた波乱万丈の人生… 実父は名家出身、裸踊りで場を盛り上げるムードメーカーだった

17日に虚血性心疾患のため76歳で亡くなった俳優・西田敏行さん。NHKは20日に追悼番組として、西田さんが出演した「ファミリーヒストリー」を再放送しました。番組では、西田さんの波乱万丈な家族の歴史が明らかになり、視聴者に深い感動を与えました。

西田敏行さんのルーツ:三つの家系を繋ぐ壮大な物語

西田さんの家族は、実父・今井家、養父・西田家、そして妹の母方の三瓶家という、三つの家系が複雑に絡み合っています。実母と養母の出身地である福島県郡山には、現在も交流が続く親族はいないとのこと。三瓶家は代々農業を営んできた家系だそうです。

実父・今井泉:名家の血筋と意外な素顔

西田さんの実父である今井泉は、大阪府和泉市の旧家に生まれました。そのルーツは、なんと和泉国の家老職を務めた名家だったのです。番組では、今井家の墓を訪れ、実父の墓石の前に立つ西田さんの姿が映し出されました。

今井泉には、西田さんの実母である紀惠さんと結婚する前に、サヨという女性と結婚していました。しかし、名家同士の結婚には周囲の反対が強く、2人は駆け落ち同然に東京へ移住。残念ながら、西田さんとサヨさんの間には交流はありませんでしたが、サヨさんの子孫は6人もいることが分かりました。

サヨさんの孫たちへの取材を通して、今井泉の人柄が徐々に明らかになっていきます。威風堂々とした態度で、周囲への気配りを欠かさず、仕事熱心な人物だったといいます。 また、大変なムードメーカーで、得意の裸踊りで周囲を笑顔にしていたという意外な一面も。 どんな職場でも、今井泉の周りには自然と人が集まってきたそうです。

しかし、順風満帆に見えた人生に悲劇が訪れます。1930年、サヨさんが7人目の子どもを出産中に亡くなってしまったのです。その後、今井泉は2度再婚しますが、いずれの妻も病気で亡くしています。

運命の出会い、そして西田敏行さんの誕生

52歳になった今井泉は、郡山貯金局への転勤を命じられます。 そこで出会ったのが、当時21歳だった西田さんの実母・紀惠さんでした。31歳という年齢差から、周囲は猛反対しますが、2人は押し切り結婚。そして、その間に生まれたのが西田敏行さんだったのです。「何事にも動じず、素早く行動してほしい」という願いを込めて、父・今井泉は「敏行」と名付けました。

その後、5歳で母方の叔母夫婦に養子に出された西田さんは、「ファミリーヒストリー」の番組を通して、実父の意外な過去を知ることになります。

番組を見た西田敏行さんの反応は?

番組内で、実父の意外な一面を知った西田さんは、「実父の実体が見えてきて、何かよかったですね」とコメント。さらに、「裸踊りのくだりは、私も『釣りバカ日誌』という映画を撮って、最初に面白いことをやろうと言ったら、裸踊りだったんですね」と、自身の俳優としての原点に繋がっていることを感じさせるエピソードを披露しました。

また、「人前でポンと歌を歌うところも受け継いでいると思います」と語り、偉大な俳優であると同時に、お茶目で親しみやすい人柄で多くの人に愛された西田さん。その魅力は、もしかしたら、実父から受け継いだものだったのかもしれません。

西田敏行さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。