毎月外車が1台買えたほど…バブル期に「ゲームセンター」が大儲けした理由


日本のクレーンゲーム誕生から黄金期まで

2本アームのクレーンゲームは日本独自で発展したもので、先述したように海外のマシンは3本爪のものでした。それが日本に入ってきて、タイトーがテーブル型で上からのぞき込むものをつくりました。1985年にセガが目線の高さにある2本アームのものを「UFOキャッチャー」と名づけたのが、いま一般にクレーンゲームといわれているものです。

1980年代後半~バブル期

1980年代後半からはぬいぐるみなどが景品となり、人気を博していきます。テレビゲームが衰退気味となったことから、テレビゲームに代わるアーケードゲームを探していた86業界が着目。各メーカーが新型クレーンゲーム機を競い合うようにつくりはじめました。

1990年ごろになると、アンパンマンやストリートファイターなどの有名キャラクターを用いた専用景品が数多く投入され、大ヒットします。種類や質も向上し、各景品メーカーが続々と新商品を発売しはじめました。一般的にクレーンゲームの存在が大きく知られるようになったのはこのころで、日本の景品文化のはじまりともいえます。

バブルのころ、ゲームセンターのクレーンゲームは黄金期を迎え、1台ゲーム機をもっているだけで毎月外車が1台買えるほど儲かった時代もありました。



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