立川談志18番目の弟子にして、多くの著作を持つ落語家・立川談慶氏。彼は、落語には現代人の悩みを解消する不思議な力があると説く。本稿では、殿様の無知を笑う滑稽噺『目黒のさんま』と、噺のサゲに談志が惚れた『長短』の2篇を現代の視点から読み解いていく。※本稿は、立川談慶氏『落語を知ったら、悩みが消えた』(三笠書房)の一部を抜粋・編集したものです。
● 落語の演目「目黒のさんま」から お金と経験の関係を読み解く
『目黒のさんま』
ある殿様が家来たちと目黒まで鷹狩に出るが、供の者が弁当を忘れてしまった。腹を空かせている殿様一同のもとに、うまそうな匂いが漂ってくる。
殿様が匂いのもとを尋ねると、家来が「これはさんまという庶民の食べる下魚。ゆえに殿のお口に合うものではありません」と答える。しかし、空腹に耐えかねた殿様は、家来にさんまを持ってくるように命じ、家来は仕方なく農家が食べようとしていたさんまをもらってくる。
直接炭火で焼いたさんまは黒く焦げて脂がしたたっているが、生まれて初めてさんまを食べた殿様は、そのうまさに大喜びする。
さんまのうまさが忘れられない殿様。ある日のお呼ばれの席で、何か食べたいものはと聞かれ、すかさず「さんま」と答えた。庶民の魚であるさんまが屋敷にあるはずもなく、家来は日本橋の魚河岸でさんまを買ってくる。
家来が調理してみるが、さんまには脂が多すぎる。そのため、蒸して脂をすっかり抜き、骨がのどに刺さってはいけないと骨をすべて抜き、ほぐした身を団子にして、吸い物にして椀で出した。殿様が食べてみると、目黒で食べたものとは比較にならぬまずさ。
どこで求めたさんまかと尋ねると家来は、
「日本橋の魚河岸で求めてきました」
すると、殿様はしたり顔で、
「ううむ、それはいかん。さんまは目黒に限る」
秋の味覚を高らかに訴えた一席です。考えてみたら、秋の落語はこの噺ぐらいしかないのが不思議です。「食欲の秋」とはよく言われますが、そういう風に言われるようになったのは、高度経済成長あたりの飽食の時代からでしょうか。
さて、この落語は、「お金は経験に使うためにある」と読み解くべきではないでしょうか。どうしてもお金は手元にあると貯めたくなるものですが、死蔵させてはもったいないものです。そのお金を使って、たくさんの世界に飛び込んで経験値を増やすべきではと確信します。
どうしてもこの落語に関しては、否、殿様が出てくる落語すべてに通底することなのかもしれませんが、「殿様の無知を笑う」という捉え方になりがちです。
それも無論ありでしょうが、どちらかというと、それは当時の庶民の溜飲を下げるための捉え方ではないでしょうか。やはり落語は時代時代に応じて、捉え方も聞き方も更新すべきではないかと思います。昔ながらの聞き方だけですと、もったいないような気がするのです。