中国の教科書には絶対に載せられない…習近平がひた隠しにする「偉大な中国史」の”不都合すぎる真実”


【画像】李世民の肖像画(台北国立故宮博物院所蔵)

 ※本稿は、安田峰俊『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

■西遊記の舞台にもなった唐の時代

 日本人にとっても、唐は馴染み深い王朝だ。平城京や平安京の都市設計と律令制度、正倉院の宝物と鑑真(がんじん)の唐招提寺、遣唐使の派遣と阿倍仲麻呂の定住、最澄・空海の仏教留学と李白や杜甫(とほ)の漢詩――。唐が日本に与えた影響は大きい。

 『西遊記』の舞台となった時代でもあり、中国史のなかでも、唐代は三国時代と並んでヴィジュアル的にイメージしやすい。王朝が存在した期間も長い。

 前代の隋が二代皇帝の煬帝(ようだい)の晩年から内乱で混乱するなか、挙兵した外戚(がいせき)(皇室の姻族)の李淵(りえん)(太祖)が六一八年に建国。やがて息子の太宗李世民が王朝の基礎を作り上げ、唐の勢力は次代の高宗にかけて拡大を続けた。その後、高宗の死後に皇后の則天武后(そくてんぶこう)がみずから帝位について周(武周)を建国し、いったん唐は滅びるも、則天武后の崩御後に再度復活。高宗の孫の玄宗の時代に国力を盛り返した。

 ただ、玄宗はやがて統治に飽きて楊貴妃を寵愛する。755年にその隙をついた軍人の安禄山の反乱を招き、唐はここで大きな曲がり角を迎えた。ただ、徐々に勢力を弱めながらも王朝そのものはまだまだ続き、滅亡は907年のことである。

 唐は王朝中期までは軍事的に強勢で、ユーラシア大陸規模の巨大版図を実現しつつ、シルクロードの文化を花開かせた。さらに唐代は漢詩(唐詩)の名作を数多く生んだ中国文学史上の黄金時代でもあった。ゆえに現代の中国人も、自国の最も輝かしい歴史を代表する王朝として唐を挙げる人が多い。

 なかでも、中国史上最高の名君とまで称される李世民の人気はすこぶる高い。



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