少子化にもかかわらず、生徒数が伸び続けている福岡の私立柳川高校。
「絶校長先生」を自称すること古賀賢校長は、学校存続の危機から学校組織、教員、生徒をどう変えていったのでしょうか。
その方法や経験を3回にわたって紹介します。
(本稿は『学校を楽しくすれば日本が変わる 「常識」をひっくり返した「絶校長」の教育改革』から一部を抜粋・再構成したものです)
■校長になってすぐ感じた学校運営の違和感
あなたは自分のいる組織が抱えている問題点がどんなときに表に出てくるか、把握していますか?
日頃は見えにくいものが、イレギュラーな対応を迫られた場面であらわになります。僕が校長就任直後の柳川高校は、まさにそんな組織でした。
台風シーズンの8月、9月。福岡県は、台風上陸数1位(沖縄県は統計上「通過」の扱いだそう)の鹿児島県などに比べると、台風の直撃は少ない土地柄です。
それでも天気予報が台風接近を発表したら、学校は休校も含めて、どう対処するかを判断することになります。本来この判断は、それぞれの学校が独自に行うものです。
ところが、僕が校長になったばかりの頃、柳川高校では「隣の学校が休校にするから、うちも」という謎のルールが適用されていました。近隣にある公立の進学校が「台風接近のため、休校」と発表したら、それに沿って柳川高校もお休みになるのです。
僕はこのやり方に対して、強い違和感を覚えました。端的に言うと、嫌で仕方がなかったのです。
自分たちで考え、決定する力のない組織は弱い。よその学校の判断を横目で見て、追従するのは責任逃れでしかありません。
そして、その組織の問題点はこうした場面の対応1つ1つに現れてくるのです。もし、より大きな災害やトラブルに直面したとき、どうするのでしょうか。そのときも隣の学校が判断を下すのを待つのでしょうか。
僕は校長に就任してからすぐ教職員全員が集まった場で、「今後、台風接近時の学校の対応は全部、自分が決める」と伝えました。
世界一の学校を目指して柳川高校を運営していく。そう考えたとき、判断の軸を自分たちで持てる組織であることは、基本のキ。むしろ、周りの学校が柳川高校の判断を参考にするような存在にならなければ、「世界一」なんて口に出すこともできません。