国民的アニメ「ドラえもん」の声優として、約26年間もの間、ドラえもんの声を演じ続けた大山のぶ代さん。お茶の間を笑顔で満たしてくれた、あの愛嬌のある「だみ声」の裏には、想像を絶するプロ意識と、夫である俳優・砂川啓介さんの支えがありました。
「ドラえもんの声」を守るための徹底した喉のケア
大山のぶ代さんは、「ドラえもんの声」を維持するために、喉のケアには神経質なほど気を配っていたそうです。
長年マネージャーを務めた小林明子さんによると、大山のぶ代さんのバッグには、常に風邪薬とのど飴が常備されていたとのこと。「少しでも喉に違和感があると、すぐに薬を飲んで予防していた」というエピソードからも、その徹底ぶりがうかがえます。
「本当に風邪をひいたときに薬が効かないのではないか」と心配する小林さんに対して、大山のぶ代さんは、ドラえもんの声を第一に考えた行動を貫き通しました。
直腸がんを患いながらも…「ドラえもんファースト」を貫いたプロ根性
大山のぶ代さんは、2001年7月に直腸がんを患い、長期入院を余儀なくされました。国民的番組である「ドラえもん」の継続が危ぶまれる事態でしたが、この時でさえも、大山のぶ代さんの「ドラえもんファースト」の精神は揺らぎませんでした。
なんと、声の収録ができない状況の中、一時外出の許可を得て、病院からスタジオに向かったのです。マイクの前では、小林さんの助けを借りながら、立っているのがやっとの状態だったにもかかわらず、収録が始まると、いつものドラえもんの声を響かせたといいます。
そのプロ根性に、スタジオは感動と尊敬の念に包まれ、収録後には自然と拍手が沸き起こったそうです。
「初代たいそうのおにいさん」である夫・砂川啓介さんの支え
「ドラえもん一筋」の大山のぶ代さんを支え続けたのは、夫で俳優の砂川啓介さんです。
二人は、1963年の舞台「孫悟空」での共演がきっかけで交際に発展。砂川啓介さんは当時、「初代たいそうのおにいさん」として、すでに人気を博していました。
俳優の毒蝮三太夫さんによると、砂川啓介さんは、初共演時の大山のぶ代さんの写真を嬉しそうに見せてくれたことがあったそうです。「三蔵法師役で馬に乗っているペコ(大山の愛称)の写真なんだけどさ、小さくて本当にかわいかった」と、当時を懐かしむ毒蝮さんの言葉から、二人の仲睦まじい様子が目に浮かびます。
大山のぶ代さんが生涯現役を貫き通せたのも、砂川啓介さんの献身的な支えがあったからこそでしょう。
大山のぶ代さんと夫の砂川啓介さん
大山のぶ代さんのプロフェッショナルとしての姿勢と、夫婦の愛に満ちたエピソードは、多くの人の心を打ちます。これからも、大山のぶ代さんが命を吹き込んだ「ドラえもん」の声は、世代を超えて愛され続けることでしょう。