吉村昭、歴史小説の名手として知られるその作家の背後には、創作への苦悩と家族への深い愛情がありました。本記事では、吉村昭が作家としての一歩を踏み出すまでの葛藤、そして家族を支える覚悟と「筆を折る」という強い決意について、息子の司氏の証言を交えて紐解いていきます。
会社員と作家の二足の草鞋:満たされぬ創作への渇望
吉村昭は、太宰治賞を受賞し作家として世に出る前、会社員として働きながら創作活動を続けていました。タイに赴任していた義姉への手紙には、2年間会社勤めをしながら小説を1作も書けなかったという告白が残されています。しかし、実際には長編小説『孤独な噴水』を出版し、商業誌にも短編を発表していました。この手紙の内容は、吉村の創作への強い渇望と、理想と現実のギャップに苦しむ姿を映し出していると言えるでしょう。
息子である司氏は、幼少期の吉村の姿を鮮明に覚えています。通勤電車で画板の上に原稿用紙を広げ、小説を執筆する父の異様な姿。司氏は、同級生にその姿を見られたくないと願っていたといいます。夜遅く帰宅後も、子供の顔に光が届かないよう電気スタンドにタオルをかけ、深夜まで執筆を続ける吉村。朝7時には起床し会社へ向かうという過酷な生活を送っていました。
通勤電車で執筆する吉村昭のイメージ
これほどの努力を傾けても、吉村は創作への渇望を満たすことができずにいました。
背水の陣:家族のための決断と「筆を折る」覚悟
妻である津村節子が芥川賞を受賞後、吉村は専務として働いていた兄の繊維会社を退職します。その時、義姉への手紙に綴られていたのは、1年間小説に専念し、家計を支えるだけの収入が得られなければ筆を折るという覚悟でした。
「小説は命そのもの」と常々語っていた吉村の「筆を折る」という決意に、司氏は衝撃を受けたと語ります。吉村にとって小説は人生そのものでしたが、家族を養えないような小説を書いていては意味がない。一家の主としての責任を果たすという強い意志の表れだったのです。この決断には、吉村自身の父親の影響があったと司氏は分析しています。
吉村の父は厳格な人物であり、責任感の強さを息子に教え込んだといいます。料理研究家の土井善晴氏も「吉村先生は料理人みたいな人だった」と評しています。 これは、吉村が作品を丁寧に作り上げる姿勢と、家族を支えるという責任感の表れと言えるでしょう。
吉村昭と津村節子の写真
作家としての矜持と家族への愛
吉村昭は、創作への情熱と家族への深い愛情を胸に、作家としての道を歩み始めました。「筆を折る」という覚悟は、作家としての矜持と家族を支える責任感の強さを物語っています。吉村の作品には、歴史的事実への丹念な取材と、人間への深い洞察が込められています。それは、彼の人生における苦悩と葛藤、そして家族への愛が生み出したものと言えるでしょう。
吉村昭の物語は、私たちに創作の苦しみと喜び、そして家族の大切さを改めて教えてくれます。ぜひ、彼の作品に触れ、その世界観を味わってみてください。