GLAY解散危機秘話:新年会でまさかの復活劇!TAKUROが語る感動エピソード

GLAYといえば、日本の音楽シーンを代表するロックバンド。数々の名曲を生み出し、今もなお多くのファンを魅了し続けています。デビュー30周年を迎えた今年、メンバーの絆の強さは誰もが知るところですが、実は過去に解散の危機があったことをご存知でしょうか?今回は、テレビ朝日系『EIGHT-JAM』でTAKUROが語った、驚きのエピソードをご紹介します。

1999年:栄光の陰で…

1999年はGLAYにとって、まさに飛躍の年でした。ドームツアー、20万人動員のGLAY EXPO、そしてレコード大賞受賞。まさに栄光の頂点に立っていた彼らですが、その裏では大きな葛藤を抱えていたのです。TAKUROは当時の心境を「バンドとしては疲れていた」と振り返っています。

業界の圧力と音楽への情熱

当時の音楽業界は、特定の流行に沿った音楽制作をアーティストに求める傾向が強かったようです。GLAYも例外ではなく、周囲からのプレッシャーに悩まされていたといいます。「業界の流れに乗れ」という指示に対し、メンバー4人は「NO」を突きつけました。それは、自分たちの音楽に対する純粋な情熱を貫くための決断でした。

函館出身のGLAYメンバー。左からJIRO、TERU、TAKURO、HISASHI函館出身のGLAYメンバー。左からJIRO、TERU、TAKURO、HISASHI

しかし、この決断は、バンドとマネジメント、そして業界との対立を生み出す結果となりました。「巨額のお金を生み出すのだから、このまま同じようにやっていけば安泰だ」という意見に対し、GLAYは「音楽を純粋にやりたい」という思いを曲げませんでした。

解散を決意…そして新年会へ

意見の食い違いは深まり、ついにメンバーは「そこまでGLAYを汚されるのであれば、もう辞めよう」と決断。1999年の大晦日での解散が決定したのです。

迎えた新年、TAKUROの自宅でメンバー4人による新年会が開かれました。そこでTAKUROがTERUに「どうすんの?」と尋ねると、TERUは「俺、もうちょっと歌いたいから、ソロアルバムを作る」と答えたのです。

新年会の奇跡:GLAY復活の瞬間

他のメンバーが今後のことを考えている中、TERUからTAKUROへ「曲書いてよ」という依頼が。TAKUROは快諾し、HISASHI、JIROも自然と会話に加わりました。「じゃあHISASHI、ギター弾く?」「じゃあJIROも誘わないと悪いじゃないか」…この流れに、TAKUROはハッと気づきます。「これ、GLAYじゃねえか!!」

解散を決意したはずのGLAYが、新年会での何気ない会話から、自然と再始動することになったのです。このエピソードに、スタジオは大爆笑。アンタッチャブルの山崎弘也も「ほっこり面白い史上ナンバーワン」と絶賛しました。

音楽への情熱、そしてメンバー同士の強い絆。GLAYの奇跡の復活劇は、多くのファンに感動と勇気を与えてくれるでしょう。これからもGLAYの活躍から目が離せません!