この記事では、元女ヤクザとして知られ、現在はNPO法人「五仁會」の広報として活躍する西村まこさんの幼少期について掘り下げます。波乱万丈な人生を送ってきた彼女ですが、一体どのような家庭環境で育ったのでしょうか?彼女自身の著書『「女ヤクザ」とよばれて ヤクザも恐れた「悪魔の子」の一代記』(清談社Publico)を基に、その驚くべき生い立ちに迫ります。
西村まこさんといえば、かつて日本初の女ヤクザとして名を馳せ、その壮絶な人生は多くの人々の心を掴みました。更生後はNPO法人を立ち上げ、暴力団や非行少年の更生支援に尽力するなど、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいます。そんな彼女の原点とも言える幼少期は、一体どのようなものだったのでしょうか?
厳格な家庭環境と「教育パパ」のスパルタ教育
alt text西村まこさん、波乱万丈の人生を歩んだ彼女の幼少期とは?
1966年、ビートルズ来日と同じ年に東京で生まれた西村さん。しかし、育ったのは名古屋市。愛知県庁に勤める公務員である父、専業主婦の母、そして弟2人と共に、一見ごく普通の家庭で育ったように見えます。しかし、その実態は「厳格」の一言に尽きる家庭環境だったといいます。
特に父親は「教育パパ」を絵に描いたような人物で、超スパルタ教育を信条としていました。西村さんにとって、幼少期の家庭は「家」というより「寺子屋」のようなイメージだったと振り返ります。
瀬戸市にある愛知県職員の官舎での生活は、常に父親の影におびえる日々でした。テストで良い点を取らなければ、竹の棒で叩かれる恐怖に怯えていたといいます。
テストの点数は恐怖からの解放?
西村さんにとって、テストで良い点を取ることは、自己評価を高めるためでも、先生に褒められるためでもありませんでした。ただただ、父親の体罰から逃れるための手段だったのです。
子供心に深い傷を負った西村さんの幼少期。その経験は、彼女の人格形成に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。教育評論家の山田一郎氏(仮名)は、「幼少期の過度なスパルタ教育は、子供の自尊心を傷つけ、健全な成長を阻害する可能性がある」と指摘しています。
この後、西村さんはどのようにして波乱万丈の人生へと足を踏み入れていくのでしょうか?後編では、彼女の思春期以降の軌跡に迫ります。