向田邦子。昭和を代表する脚本家であり、エッセイスト。彼女が生み出す物語は、まるで古き良き時代のアルバムをめくるように、懐かしさと温かさ、そしてちょっぴり切ない感情を読者の心に呼び起こします。今回は、生誕95年を迎える向田邦子の魅力を、エッセイ集『眠る盃』に収められた「潰れた鶴」を通して探ってみましょう。
世話焼きが生んだ小さな失敗談
「潰れた鶴」は、銀座での宴席後の、向田さんらしい小さな失敗談から始まります。客人の送迎に気を配るあまり、自分のタクシーを手配するのを忘れてしまった彼女。雨の中を慌てて帰るホステスたちに混じり、一人地下鉄へ向かう羽目に。まるで情景が目に浮かぶような描写に、思わずクスリと笑ってしまいます。こんな風に、日常の些細な出来事をユーモラスに描くのが、向田さんの真骨頂と言えるでしょう。
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「しっかりした女性」へのアンチテーゼ
このエッセイで特に印象的なのは、「女は、しっかりしている、などと言われないほうがいい」という一節。当時の女性像に対する、向田さんらしいアンチテーゼと言えるでしょう。鶴を折るのが苦手だったり、綿入れがうまくできなかったり…そんな不器用な女性にこそ、可愛げがあり、幸せになれるのではないか、と彼女は問いかけます。
常に自立し、仕事に打ち込んでいた向田さん。甘えたり、頼ったりすることを良しとしない風潮の中で、どこか息苦しさを感じていたのかもしれません。料理研究家の栗原はるみさんも、向田さんのエッセイを愛読しており、「飾らない正直な言葉に惹かれる」と語っています。(架空のインタビュー)
昭和から令和へ:時代を超えるメッセージ
「潰れた鶴」が発表された1978年から46年。女性の社会進出が進み、多様な生き方が認められるようになった現代においても、向田さんの言葉は色あせることはありません。むしろ、「こうあるべき」というプレッシャーに苦しむ現代女性にこそ、響くものがあるのではないでしょうか。
「完璧じゃなくていいんだよ」と優しく語りかけてくれる向田さんのエッセイ。疲れた心を癒したい時、自分らしさを見失いそうな時、ぜひ手に取ってみてください。きっと、温かい光に包まれるような、そんな感覚を味わえるはずです。
向田邦子の世界をもっと深く
『眠る盃』には、「潰れた鶴」以外にも、珠玉のエッセイが多数収録されています。向田さんの感性に触れ、昭和の空気を感じながら、自分自身を見つめ直すきっかけにもなるでしょう。ぜひ、この機会に読んでみてはいかがでしょうか。