古代伽耶の知恵が現代に蘇る!慶尚南道咸安郡の伽耶里遺跡で、1600年前の精巧な排水システムが発見されました。この記事では、その驚きの発見の詳細と、古代伽耶人の高度な土木技術について解説します。
伽耶里遺跡で発見された驚異の排水路
国立伽耶文化財研究所は、咸安郡伽耶邑の伽耶里遺跡(国家史跡)で、5~6世紀の伽耶小国「阿羅伽耶」の王城跡と推定される土城跡と、長さ16.5メートルにも及ぶ人工水路(排水施設)を発見しました。伽耶関連遺跡でこれほど明確な排水路施設が発見されたのは初めてであり、考古学界に大きな衝撃を与えています。
精密に組まれた石積み水路
この水路は、幅1~3.5メートル、長さ16.5メートルで、城内の谷間地に集まる水を城外へ排出する役割を担っていました。城壁を通過する部分は暗渠構造となっており、幅は約1メートル。城壁の外側では、幅が最大3.5メートルまで広がるラッパ状になっています。これは、水の流れを制御するための工夫と考えられています。
伽耶里遺跡の排水路と土城
考古学者の山田教授は、「この排水システムは、地形を綿密に分析し、水の流れを巧みに制御する高度な土木技術を示している」と述べています。古代伽耶人の知恵と技術力の高さが伺えます。
土城の構造と発見された土器
土城の城壁は、谷間地の入口を塞ぐように築かれており、版築技法を用いて堅固に構築されています。防御用の土塁を中心部に築き、谷間の地形を平坦にするために敷葉工法も用いられています。さらに、内外壁を設けることで城壁を補強していました。
伽耶里遺跡の全景
土塁の幅は5.5メートル、内外壁の底部の幅はそれぞれ12メートル、全体では29.5メートルにも達します。土層からは短頸壺や釜型の土器も発見されており、城壁築造の際に何らかの祭祀が行われた可能性が示唆されています。
城壁築造時の祭祀に使用されたと推定される土器
祭祀用と推定される埋納土器
伽耶里遺跡と阿羅伽耶の歴史
伽耶里遺跡には、5~6世紀に栄えた阿羅伽耶の土城や建物跡が点在しています。「咸州誌」(1587)や「東国輿地」(1656)などの朝鮮時代の文献にも「古国遺基」として記録が残されており、近年の調査で重要な遺物や遺構が次々と発見されています。
敷葉工法の跡
城壁の断面
2019年には国家指定文化遺産史跡に指定され、現在も発掘調査が続けられています。今回の排水システムの発見は、古代伽耶の土木技術の高さを示す貴重な資料となるでしょう。今後の調査で、さらなる発見が期待されます。