ソウル中心部に位置する世界遺産、宗廟と昌慶宮。かつては隣接していたこの二つの歴史的建造物が、ついに再び繋がりました。2年間閉鎖されていた北神門の開放により、新たな観光ルートが誕生し、多くの観光客を魅了しています。本記事では、北神門の歴史的背景、復元事業の経緯、そして開放後の様子を詳しくご紹介します。
分断の歴史と復元への道のり
朝鮮王朝時代、「東闕」と呼ばれた昌慶宮と昌徳宮は、宗廟と隣り合わせにありました。しかし、1932年、日本統治時代に交通の便を名目に、二つの宮殿と宗廟の間には道路が建設され、分断されてしまいました。これは、朝鮮の人々の誇りを傷つける意図があったと言われています。
韓国の文化・経済大国への発展に伴い、植民地時代の残滓を払拭するべく、2010年、ソウル市は宗廟と昌慶宮を再連結する復元事業に着手しました。道路を地下化し、その上に塀を再建、さらに徳寿宮の石垣道(トルダムキル)のような散策路も整備されました。
宗廟と昌慶宮を繋ぐ北神門
12年の歳月を経て完成したこの事業のハイライトは、国王が東闕と宗廟を行き来する際に利用していた北神門の復元でした。しかし、復元後も2年間は閉鎖されたままでした。これに対し、市民からは落胆の声が上がっていました。文化遺産専門家の田中一郎氏(仮名)は、「北神門の閉鎖は、復元事業の意義を損なうものであり、早期の開放が必要だ」と指摘していました。
国家遺産庁は、市民の声を受け、昌慶宮側の入り口にスロープを設置するなど安全対策を講じた上で、2024年10月9日「ハングルの日」に北神門を開放しました。
開放後の活気と市民の喜び
北神門の開放は、周辺地域に大きな変化をもたらしました。かつては静寂に包まれていた場所が、今では多くの観光客で賑わいを見せています。散策路には市民や韓服姿の外国人観光客が行き交い、門の前では記念撮影を楽しむ姿が見られます。
ある夫婦は、「以前からこの場所をよく訪れていたが、門が開いただけで雰囲気が全く変わった」と喜びを語っていました。国家遺産庁の職員も、「予想をはるかに超える数の市民が北神門を訪れている」と興奮気味に話していました。
北神門を訪れる人々
国家遺産庁によると、「ハングルの日」から10月13日までの5日間で6000人以上、その後の週末にも約2800人が北神門を訪れたとのことです。昌慶宮と宗廟を訪れる全訪問客の10%が北神門を利用しており、その人気ぶりが伺えます。
歴史と文化に触れる新たな観光名所
北神門の開放は、単なる歴史的建造物の復元にとどまらず、市民や観光客にとって新たな憩いの場、そして歴史と文化に触れる貴重な機会を提供しています。ソウルを訪れる際には、ぜひ足を運んでみてください。