イギリス外交官の目を通して見た激動の明治維新:知られざる日本の姿

幕末から明治維新にかけての日本は、世界からどのように見られていたのでしょうか?混沌とした世界情勢の中で、鎖国から開国へと舵を切った日本の姿は、現代の私たちにも多くの示唆を与えてくれます。本記事では、イギリス外交官アーネスト・サトウの著書『一外交官の見た明治維新』(講談社学術文庫)を基に、激動の時代を生きた日本の姿を紐解いていきます。

若きサトウを日本へと駆り立てたものとは?

アーネスト・サトウは、19世紀のイギリス外交官。明治初期の日本に滞在し、通訳官や駐日公使として活躍しました。彼の著書『一外交官の見た明治維新』は、当時の日本の姿を鮮やかに描き出しています。

サトウが日本に興味を持つきっかけとなったのは、なんと偶然手に取った一冊の本でした。18歳の時、兄が借りてきたローレンス・オリファントの回想録を読んだことが、彼の人生を大きく変えることになります。

altalt

オリファントの描く日本は、まるで桃源郷。常に青い空、輝く太陽、美しい女性たちに囲まれた男たちの姿…サトウの心はこの理想郷のイメージに強く惹きつけられました。

その後、ペリー提督の遠征記を読んだことで、彼の日本への憧憬はさらに強まります。そして、ユニバーシティ・カレッジ図書館で運命的な出会いが訪れます。中国・日本への通訳候補生募集の知らせを見たサトウは、迷わず応募。見事試験に合格し、念願の日本行きを叶えるのです。

当時の西洋諸国では、日本語を学ぶには中国語の知識が必要だと考えられていました。そのため、サトウはまず北京の在中国公使館に赴任。そこで中国語と満州語の学習に励みます。

しかし、江戸から送られてきた書簡を中国人が誰も解読できなかったという事件が発生。この出来事をきっかけに、日本語と中国語の関連性に対する認識が大きく変わることになります。サトウ自身も、中国語の知識は日本語学習に役立つものの、必須ではないと考えるようになったと記しています。

サトウの見た日本の第一印象

数ヶ月の北京滞在を経て、ついに日本へとやってきたサトウ。彼が最初に訪れたのは横浜でした。当時の横浜は、開港によって西洋文化が流入し、活気に満ち溢れていたことでしょう。

当時の西洋人の目には、日本はどのように映っていたのでしょうか?歴史学者、田中健一郎氏によると「当時のイギリスにとって、日本は東洋への玄関口として重要な拠点と見なされていた」とのこと。サトウの記録からも、当時のイギリスの思惑が垣間見えます。

驚きの文化、そして未知なる可能性

異国の地で、サトウは様々な文化に触れ、驚きと戸惑いを経験したに違いありません。当時の日本は、西洋文化とは全く異なる独自の文化を築いていました。そのギャップは、サトウにとって大きな刺激であり、同時に未知なる可能性を感じさせるものでもあったでしょう。

明治維新という激動の時代

サトウが日本に滞在した時期は、まさに明治維新という激動の時代。彼は日本の近代化の過程を目の当たりにし、その変貌ぶりに驚嘆したといいます。

西洋化と伝統の狭間で

西洋文化の流入によって、日本の社会は大きく変化していきます。しかし、伝統的な文化を守ろうとする動きも根強く残っていました。西洋化と伝統の狭間で揺れ動く日本の姿を、サトウはどのように見ていたのでしょうか?

まとめ:未来への教訓

サトウの記録は、幕末から明治維新にかけての日本の姿を理解する上で貴重な資料となっています。彼の視点を通して、私たちは当時の国際情勢や日本の置かれた立場をより深く理解することができます。そして、激動の時代を生き抜いた人々の姿は、現代社会を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれるでしょう。

この記事が、皆様の日本史への理解を深める一助となれば幸いです。ぜひ、ご自身の目で『一外交官の見た明治維新』を読んで、当時の日本の姿を体感してみてください。