1974年12月10日、三億円事件の時効が成立しました。未解決のまま49年が過ぎた今も、多くの謎が残るこの事件。警視庁創立150年を機に、”昭和の名刑事”と称された平塚八兵衛氏の回想録から、事件の真相に迫ります。平塚氏は、犯人の年齢とモンタージュ写真に着目し、独自の捜査を展開しました。事件解決の鍵を握る、名刑事の洞察力と捜査の極意とは?
犯人の年齢:若者か、それとも…?
三億円事件では、偽装白バイをはじめとする62点もの遺留品が押収され、12万人近くの捜査対象者、延べ17万人以上の捜査員が動員されました。まさに史上空前の大捜査でしたが、犯人逮捕には至りませんでした。
1969年4月から三億円事件の特別捜査本部に入り、1972年7月からは捜査主任を務めた平塚氏は、事件の未解決の最大の要因は「初動捜査のミス」にあると指摘しています。中でも重要なのが「犯人の年齢」です。
当初、犯人は18歳から25歳とされていましたが、平塚氏は捜査を引き継いだ後、この年齢を30歳近くに引き上げました。当時の20歳以下の男性、つまり昭和23年以降生まれの男性は捜査対象から外すよう指示を出したのです。
alt全国に手配されたモンタージュ写真。平塚氏は、このモンタージュ写真が犯人像と乖離している可能性を指摘していた。
なぜ年齢を引き上げたのか?
平塚氏が犯人の年齢を引き上げた理由は、被害者である現金輸送車に乗っていた日本信託銀行員の供述に疑問を抱いたからです。当初、「犯人は20歳から25歳くらい」とされた根拠は、ある行員の「犯人は若く、行動も若々しかった」という供述でした。
しかし、平塚氏は銀行内部の捜査を進める中で、この供述をした行員F氏がノイローゼ状態になっていることを知ります。F氏だけでなく、現金輸送車に乗っていた他の3人も責任感から同様の心理状態でしたが、F氏の状態が最も深刻でした。このことが平塚氏の勘に引っかかったのです。
F氏の護衛をしていた行員から、F氏は実際には犯人の顔を見ていないにもかかわらず、警察で犯人に似た顔の写真の選別をさせられ、困っていたという話を聞きます。三億円を奪われた責任から「何も見ていませんでした」とは言えず、他の行員の証言に合わせて「20歳から25歳くらい」と答えていたのです。
平塚氏は、目撃者が嘘をつくのではなく、その“立場”が嘘をつかせることがあると看破しました。目撃者の置かれた状況を理解し、人間的な配慮を忘れないこと。これは、DNA鑑定や防犯カメラが主流となった現代の捜査においても重要な教訓と言えるでしょう。
モンタージュ写真の信憑性
平塚氏は、有名になったモンタージュ写真についても疑問を呈していました。多くの情報が錯綜する中、真実に迫るためには冷静な判断と多角的な視点が不可欠です。
捜査の極意:状況証拠と人間心理の洞察
平塚氏は、犯人の年齢推定やモンタージュ写真の信憑性への疑問など、事件の細部に鋭くメスを入れました。それは、状況証拠を読み解き、人間心理を洞察する、名刑事ならではの捜査の極意と言えるでしょう。
現代の犯罪捜査においても、科学技術の進歩とともに、人間の心理や行動を理解することの重要性は変わりません。平塚氏の捜査手法は、現代の捜査員にも多くの示唆を与えてくれるはずです。
平塚八兵衛の遺したもの
平塚八兵衛氏は、三億円事件の捜査を通じて、捜査の真髄を私たちに示しました。それは、証拠を冷静に分析するだけでなく、人間の心理や行動を深く理解することの重要性です。彼の洞察力と人間味あふれる捜査手法は、現代社会においても、犯罪捜査の指針となるでしょう。