北海道苫前村で発生した、日本獣害史上最悪の惨劇として語り継がれる三毛別羆事件。7名(胎児を含めると8名)もの尊い命が奪われたこの事件は、100年以上経った今も人々の記憶に深く刻まれています。事件を鎮圧した英雄、山本兵吉。その名は広く知られていますが、彼の人生、その背景については、これまであまり語られてきませんでした。この記事では、伝説の猟師、山本兵吉の知られざる真実、その素顔に迫ります。
狩猟の達人、山本兵吉とは?
山本兵吉の肖像
三毛別羆事件を詳細に調査した木村盛武氏の著書『獣害史上最大の惨劇 苫前羆事件』によると、山本兵吉は「宗谷のアンチャン」や「宗谷のサバサキの兄」と呼ばれ、天塩国で知らぬ者はいないほどの腕利きの猟師でした。生涯で300頭ものヒグマを仕留め、エゾライチョウやエゾリスさえも実弾で撃ち落とすほどの凄腕。樺太時代にはサバサキ(猟刀)でヒグマを倒したという逸話も残っています。常に軍帽を被り、日露戦争の戦利品とされる銃を携え、山野を駆け巡る姿は、まさに「伝説の猟師」と呼ぶにふさわしいでしょう。
記録に残る兵吉の真実
三毛別羆事件の現場
『苫前町史』には、事件発生当時、兵吉は借金のため銃を質に入れて猟を休んでいたという記録が残されています。しかし、三毛別羆事件の悲報を聞きつけると、すぐに銃を取り戻し、現場へと向かったといいます。酒好きで知られた兵吉ですが、その人となりは面倒見がよく、情に厚い人物だったと伝えられています。小説家、戸川幸雄氏の『羆風』や吉村昭氏の『羆嵐』にも、兵吉の人物像が描かれており、その豪快さと優しさが垣間見えます。
兵吉の知られざる素顔
ヒグマの襲撃
今回、筆者は兵吉の直系の子孫である山本隆巳氏に取材を行い、貴重な資料を拝見する機会を得ました。戸籍謄本などからは、これまで知られていなかった兵吉の生い立ちや家族構成、そして彼が経験した数々の出来事が明らかになりました。 狩猟技術の高さだけでなく、人間味あふれる兵吉の素顔。それは、まさに「英雄」という言葉にふさわしいものでした。
三毛別羆事件という悲劇の中で、人々の希望となった山本兵吉。彼の勇気と行動力は、今もなお語り継がれるべき偉業です。この記事を通して、少しでも多くの方に、伝説の猟師、山本兵吉の真実を知っていただければ幸いです。