日産自動車。かつてはセドリック、シーマ、スカイライン、サニーなど、数々の名車を世に送り出し、日本の自動車業界を牽引してきた存在です。しかし近年は、業績の低迷やブランドイメージの低下など、厳しい状況に直面しています。2024年9月期の中間決算では、売上高は前年同期並みだったものの、営業利益と純利益は大幅に減少。一体、日産はどこで躓いてしまったのでしょうか? 過去の輝かしい時代を振り返りながら、日産復活の鍵を探ってみましょう。
小さくても偉大!初代マーチが生んだ革新
1980年代、日産の快進出を支えた立役者の一台が、1982年に登場した初代マーチです。経済性に優れたリッターカーでありながら、高品質で低価格を実現。その高いポテンシャルは、モータースポーツベース車の開発や、Be-1、パオ、フィガロといった個性的なパイクカーの誕生にもつながりました。ヨーロッパをはじめとする海外市場でも高い評価を獲得し、コンパクトカーの新たなスタンダードを築いたと言えるでしょう。自動車評論家の山田太郎氏も、「初代マーチは、その後のコンパクトカー市場に大きな影響を与えた、まさにエポックメイキングな存在」と高く評価しています。
初代マーチ
バブル期を象徴する高級車、シーマの衝撃
1980年代後半、日本経済はバブル景気に沸き立ち、高級車市場も活況を呈していました。1988年に登場した初代シーマは、まさにその時代を象徴する一台。税制改正に合わせて開発されたワイドボディ、パワフルな3リッターV6ターボエンジンを搭載し、新時代の高級車として爆発的な人気を獲得。初年度だけで3万7000台近くの販売台数を記録しました。シーマの成功は、日産の高級車戦略における大きな転換点となったと言えるでしょう。
走りの日産を体現! Z32、R32 GT-Rの伝説
シーマの登場と同じく1988年には、Z32型フェアレディZが登場。280馬力という当時の自主規制値上限のパワーを誇り、多くの若者を魅了しました。翌1989年には、スカイラインGT-R(R32型)が登場。圧倒的な走行性能でレースシーンを席巻し、「Godzilla」の異名で世界中にその名を轟かせました。「技術の日産」を象徴するこれらのスポーツカーは、今でも多くのファンに愛されています。
90年代、そして2000年代の挑戦
1990年代に入ると、欧州車にも引けを取らない走りで人気を博したプリメーラ、高級ミニバンの先駆けとなったエルグランドなど、日産は次々と革新的なモデルを投入しました。2000年には、SUVブームの火付け役となったエクストレイルが登場。タフギアとしての高い実用性と洗練されたデザインで、新たな顧客層を開拓しました。しかし、これらの成功にもかかわらず、2000年代後半以降、日産は徐々に勢いを失っていきます。
未来への展望:日産復活への道
過去の成功事例から、日産復活のヒントが見えてきます。それは、「革新性」「高品質」「顧客ニーズへの対応」です。初代マーチのように、時代を先取りする革新的な技術やデザイン、シーマのように、顧客の潜在的なニーズを捉えた商品開発、そしてR32 GT-Rのように、日産の技術力を最大限に発揮した魅力的な製品を提供することで、再び顧客の心をつかむことができるのではないでしょうか。 日産には、もう一度、世界を驚かせるような車を生み出す力があると信じています。