現代社会において、SNSは私たちの生活に深く浸透しています。しかし、その一方で、タイムライン上の「空気」を読み、承認を求め、不確かな情報に翻弄され、対立や分断を深めてしまう…そんな「相互承認ゲーム」の罠に陥っている人も少なくないのではないでしょうか。評論家の宇野常寛氏は、現代の情報社会における問題点を鋭く分析し、新たな社会像を提示しています。(※本記事は宇野常寛氏の著書『庭の話』を参考に構成しています。)
世界をゲームとして捉える現代人
SNSと承認欲求
20世紀までは、多くの人々が歴史という物語の中で自己を位置づけ、アイデンティティを確立していました。国民を代表する政治家や、時代を象徴するスターといった物語の主役たちに感情移入し、共同体の一員としての意識を持つことで、価値を見出していたのです。
しかし、21世紀の現代では、世界をゲームとして捉える傾向が強まっています。このゲームは二層構造を持ち、グローバルな資本主義というゲームをプレイする「Anywhere」な人と、ローカルな相互評価のゲームをプレイする「Somewhere」な人に分かれています。
グローバルとローカル:二つのゲーム
グローバルとローカルのゲーム
グローバリゼーションと情報化によって、国家というローカルな物語よりも大きな、市場というグローバルなゲームが誕生しました。「Anywhere」な人々は、個人の力でこのグローバルな資本主義ゲームに直接参加します。
一方、「Somewhere」な人々は、ローカルな相互評価のゲームに留まります。これは、他者からの承認を得るためのゲームであり、その中で最も低コストで強い承認を得られるプレイスタイルが「民主主義」というわけです。
民主主義というゲーム
民主主義的な政治参加は、画面の中の誰かを「推す」ことで擬似的な自己実現を達成し、他者が演じる国家という物語に感情移入する行為と言えます。社会的な「正義」が保証されているため、人々は迷わずコミットし、大きな快楽を得ることができます。
相互承認ゲームからの脱却
では、私たちはどのようにこの相互承認ゲームから抜け出せば良いのでしょうか? まずは、自分自身がどちらのゲームに参加しているのかを認識することが重要です。そして、本当に自分が求めているものは何か、自分自身の価値観は何なのかを問い直す必要があるでしょう。 SNSの「いいね」の数に一喜一憂するのではなく、現実世界での繋がりを大切にし、自分自身の内面を豊かにすることで、真の幸福へと繋がるのではないでしょうか。