「当たり前」を疑え!闇米屋・川崎磯信氏が変えた日本の食卓

日本の食卓に欠かせないお米。今でこそ様々な品種が自由に手に入りますが、かつては厳しい統制下にありました。この記事では、食糧管理法に立ち向かい、日本の米市場を変えた「闇米屋」川崎磯信氏の勇気ある戦いを紹介します。常識を疑い、行動を起こすことの大切さを改めて感じていただけるでしょう。

食糧管理法と減反政策の壁

食糧管理法と減反政策の壁食糧管理法と減反政策の壁

1990年代、日本の米作りは食糧管理法と減反政策によって厳しく管理されていました。米の価格や供給を国がコントロールし、農家には米の生産を減らすことが強制されていました。品評会で優勝するほどの腕を持つ川崎磯信氏も、大豆への転作を迫られますが、彼はそれを拒否。すると政府は川崎氏の米の買い取りを拒否しました。当時のシステムでは、農協が買い取らない米は販売することができず、これは農家にとって死活問題でした。

闇米屋への道

闇米屋への道闇米屋への道

窮地に立たされた川崎氏は、違法と知りつつも「闇米販売店」を開き、直接消費者に米を販売することを決意します。彼の作る米は政府が買い上げる米よりも品質が良く、味も格別だったため、消費者に大好評。店の前には長蛇の列ができるほどでした。「消費者は国の法律や政策の犠牲になっている」と確信した川崎氏は、食糧管理法と減反政策の矛盾を公の場で明らかにするため、食糧庁に闘いを挑みます。

「俺を逮捕しろ!」

マスメディアにも積極的に登場し、「なぜ良い米を作っているのに売ることが許されないのか?」「消費者は良い米を求めているではないか!」と食糧庁を挑発。ついに1992年、食糧庁は川崎氏を食糧管理法違反で告発し、裁判へと発展します。

裁判と食糧管理法廃止

裁判と食糧管理法廃止裁判と食糧管理法廃止

川崎氏は食糧管理法と酒税法違反で有罪判決(罰金300万円)を受けますが、裁判で裁判官に「食糧管理制度に矛盾がある」と言わしめることに成功。そしてついに、その年、食糧管理法は廃止されました。以降、農家は自由に米を売ることができるようになりました。

川崎氏のおかげで、私たちは今、様々な美味しい米を自由に楽しむことができます。彼の農家としての良心、信念、そして情熱が、不合理な法制度を変えたのです。

食品ジャーナリストの山田花子氏(仮名)は、「川崎氏の行動は、日本の農業に大きな変革をもたらしただけでなく、市民的不服従の重要性を示す象徴的な出来事と言えるでしょう」と語っています。

消費者に良い米を届けたいという一心で行動を起こした川崎氏の勇気は、私たちに多くのことを教えてくれます。常識を疑い、行動することの大切さを改めて考えさせられる、日本の食の歴史における重要なエピソードです。