16歳という若さで交通事故に遭い、両脚切断という大きな試練を乗り越えたモデル・インフルエンサー、葦原みゅうさん。想像を絶する経験をされた彼女ですが、その逆境を力に変え、力強く前向きに生きています。今回は、事故直後の記憶、両脚を失った現実を受け入れた瞬間、そしてモデルとして活動を始められた経緯について、みゅうさん自身の言葉を通して紐解いていきます。
事故直後、両脚を失った現実との葛藤
事故直後の記憶は曖昧で、ICUで目覚めたものの、麻酔の影響で数分しか意識を保てなかったと言います。お母様の泣き顔を見た記憶はあるものの、すぐに眠りに落ちてしまったそうです。その後、徐々に意識がはっきりしてくる中で、驚くべきことに、みゅうさんには指先まで脚がある感覚が残っていたといいます。
ICUで目覚めたみゅうさん。麻酔の影響で意識が朦朧としていた。
「今でも、脚がある感覚は残っているんです。ベッドに寝ている時は脚を伸ばしている感覚、椅子に座っている時は地面に脚をつけている感覚があるんです。不思議ですよね」と、みゅうさんは語ります。これは「幻肢痛」と呼ばれる現象で、切断経験者にはよく見られる症状なのだとか。「義肢装具士」の資格を持つ、山田先生(仮名)も「切断された部位があった時間が長ければ長いほど、その感覚が残る傾向があります」と指摘しています。
事故当時は、その感覚が今よりも強く、みゅうさん自身は脚がなくなっていることに気づいていなかったそうです。多感な16歳という年齢を考慮し、ご家族や主治医は、みゅうさんに両脚切断の事実を伝えることができずにいたといいます。そのため、事故から約2ヶ月もの間、みゅうさんは現実を知らずに過ごしていたのでした。
両脚がないと気づいた瞬間
では、みゅうさんはどのようにして、両脚がないという現実に気づいたのでしょうか?それは、些細な出来事がきっかけでした。骨盤骨折のため、安静を指示されていたみゅうさん。しかし、少しずつ動けるようになると、寝返りを打つ際にベッドのシーツがよれてしまうようになりました。それを直そうと、寝転がったまま背中から手を入れてシーツを引っ張った時、お尻辺りを触ったみゅうさんは、異変に気づきます。上半身は病院着を着ているのに、下半身には何も着ていなかったのです。「あれ?」と思った瞬間、全てを悟ったと言います。
ベッドのシーツを直そうとした際に、両脚がないことに気づいたみゅうさん。
現実を受け入れ、前を向く
その時の心境について、みゅうさんは「もちろんショックでしたが、それよりも『いつ退院できるか』という気持ちが強かった」と語っています。驚くべき精神力の強さです。この前向きな姿勢が、その後の人生を大きく変えていくことになります。次回では、みゅうさんがモデルとして活動を始められた経緯について、詳しくお伝えします。
葦原みゅうさんの力強い生き方
葦原みゅうさんの物語は、私たちに大きな勇気を与えてくれます。困難な状況に直面しても、前を向き、力強く生きていくことの大切さを教えてくれます。次回の記事もぜひご覧ください。そして、この記事を読んで何か感じたことがあれば、ぜひコメント欄で共有してください。また、SNSでシェアして、より多くの人々にみゅうさんの力強いメッセージを届けていただければ幸いです。