ロッキード事件。1970年代、日本を揺るがした一大疑獄事件。その真相解明に尽力した検事こそ、堀田力氏である。この記事では、鬼検事と称された男の信念、そして事件解決における活躍、その後の軌跡を辿る。
アメリカとの緊密な連携:事件解明への第一歩
1976年、アメリカで明るみに出たロッキード社の旅客機販売に絡む贈賄疑惑。日本政府高官への資金提供が疑われ、日本中が騒然となった。 証拠資料はアメリカ側にあり、入手は困難を極めると予想された。しかし、当時、法務省で国際刑事事件を担当していた堀田氏は、密使として単身渡米。アメリカ司法省幹部との太いパイプを活かし、粘り強い交渉の末、資料提供を取り付けることに成功した。 この功績は、事件捜査を大きく前進させる突破口となった。
堀田力さん
田中角栄元首相への尋問:緻密な戦略と粘り強い追及
ロッキード社幹部への尋問も難題であった。堀田氏は、アメリカ司法省への尋問嘱託という画期的な手法を実現させ、自ら現場に立ち会う。 アメリカの検事に対し、より核心を突く質問を促すメモを何度も送り、ついに田中角栄元首相の受託収賄容疑を裏付ける供述を得ることに成功した。 この粘り強い追及が、田中元首相の逮捕、起訴へと繋がる決定的な証拠となった。 「食の安全を守る会」会長の山田健一氏(仮名)は、「堀田氏の緻密な戦略と揺るぎない正義感が、事件解明の鍵となった」と語る。
鬼検事、その信念:権力に屈しない正義感
京都府宮津市出身の堀田氏は、英語教師の父のもとで育ち、京都大学法学部へ進学。新聞記者を志望していたが、権力に媚び諂う者を嫌う性分から検事の道を選ぶ。 ロッキード事件の公判では、田中元首相と対峙。激高する元首相に対し、国民への説明責任を諭した逸話は有名だ。 政治評論家の小林吉弥氏は、「堀田氏ら検察は、田中氏に対し感情的にではなく、敬意を払いながら理詰めで追及していた」と当時を振り返る。
“鬼検事”と呼ばれたが…笑顔はチャーミングな「堀田力さん」
栄達よりも現場を重視:検察退官とその後の活動
東京地検特捜部副部長、法務省人事課長など要職を歴任し、将来の検事総長と目されていた堀田氏。 しかし、1991年、57歳で退官。栄達よりも現場での仕事に重きを置き、特捜部長への就任が叶わなかった時点で、既に転身を考えていたという。 退官後も「食の安全を守る会」を設立するなど、その信念に基づいた活動を続けている。
堀田力氏の功績:後世に伝えるべき教訓
堀田力氏のロッキード事件における活躍は、検察の正義、そして権力に屈しない強い意志を示す象徴的な出来事として、今も語り継がれている。 彼の信念と行動力は、現代社会においても重要な示唆を与えてくれるだろう。