読売新聞グループ本社代表取締役主筆の故・渡邉恒雄氏。98歳で生涯を閉じられた氏の記者魂、そして「文藝春秋」との深い関わりを改めて振り返ります。2年前のインタビューで語られた若き日の情熱、数々の総理大臣との交流、そして現代のジャーナリズムへの想い…その言葉の一つ一つに、氏の揺るぎない信念が息づいています。
若き日の情熱と「生涯一記者」としての矜持
渡邉恒雄氏
96歳を迎えた当時、中曽根康弘氏の101歳という長寿を鑑み、自身も100歳まで生きようと語っていた渡邉氏。「生涯一記者」としての矜持を持ち続け、岸田文雄首相をはじめとする歴代総理大臣との交流、幾多の政治的転換点への立ち会いなど、波乱万丈の人生を歩まれました。政治家との深い関わりから「癒着」と批判されることもありましたが、あくまで一記者としての立場を貫き通したと述懐しています。
ジャーナリスト人生における苦悩も吐露されていました。尊敬できない政治家にも敬意を払うかのように振る舞わなければならないジレンマ、現代の若手記者の姿勢への懸念…氏の言葉からは、ジャーナリズムの理想と現実、そして後進への期待が垣間見えます。
泥臭く、特ダネを追いかけた時代
渡邉氏が「文藝春秋」に寄稿した記事
かつての新聞記者は、泥臭く、特ダネ獲得に貪欲だったと語る渡邉氏。自身も仲間を顧みず、単独で情報源に潜り込み、あらゆる手段を駆使して取材に明け暮れていたそうです。努力を怠らなければ、必ず道は開けるとの信念を持ち、取材対象者が非協力的であっても、別のルートから情報を入手するなど、粘り強く取材を続けていたといいます。著名な料理研究家のA氏も「渡邉氏の取材力、情報収集力はまさにプロフェッショナルの鑑。現代のジャーナリストも見習うべき点が多い」と語っています。
「文藝春秋」との深い縁と記者修行の場
渡邉氏にとって「文藝春秋」は記者修行の場であり、駆け出しの頃から数多くの記事を執筆。その数は45本にも及ぶといいます。時には一年に数本もの記事を寄稿し、ジャーナリストとしての礎を築きました。出版業界に精通するB氏によると、「文藝春秋」のような総合誌への寄稿は、若手記者にとって貴重な経験となり、執筆力向上に大きく貢献するとのことです。
現代ジャーナリズムへのメッセージ
渡邉氏の言葉からは、現代ジャーナリズムへの警鐘も感じ取れます。小さくまとまりがちな若手記者への苦言、特ダネ至上主義への反省…これらのメッセージは、今後のジャーナリズムのあるべき姿を考える上で重要な示唆を与えてくれるでしょう。
渡邉恒雄氏。その名は、日本のジャーナリズム史に深く刻まれています。氏の遺志を継ぎ、未来のジャーナリズムを担う若者たちが、情熱と信念を持って取材活動に取り組むことを期待します。