【長野県・秋山郷】江戸時代の悲劇、飢饉で消えた村…甘酒村の記憶を辿る

秋山郷、長野県の奥深く、山々に囲まれた秘境の地。そこには、江戸時代の悲劇を物語る、忘れ去られた村の記憶が眠っています。今回は、天明・天保の大飢饉によって全滅したと伝えられる「甘酒村」の物語に迫ります。

忘れられた村、甘酒村への道

秋山郷の風景秋山郷の風景

かつて、秋山郷と外界を繋ぐ唯一の道は、険しい尾根道でした。現代では、登山愛好家が時折訪れるだけの静かな道です。エゾハルゼミの物悲しい鳴き声だけが響き渡る中、かつて「甘酒村」と呼ばれた村跡を目指して歩を進めます。 作家・八木澤高明氏の著書『忘れられた日本史の現場を歩く』(辰巳出版)によれば、この甘酒村、名前の由来は酒造りを行っていたことからとされています。しかし、その村は天保の大飢饉によって全村が餓死するという悲劇的な結末を迎えたのです。

飢饉の爪痕、そして甘酒村の悲劇

八木澤高明氏の著書八木澤高明氏の著書

尾根道を登り詰めると、突如視界が開け、かつての水田跡が広がります。そこには、村人たちの霊を弔うために集められた墓石が静かに佇んでいます。江戸時代の秋山郷では、米作りではなく、稗や粟などの雑穀や蕎麦が主食でした。焼畑農業で得られるわずかな収穫が、人々の命を繋いでいたのです。

飢えに苦しむ村人たちの選択

甘酒村の墓石甘酒村の墓石

当時、秋山郷には「あっぽ」と呼ばれる郷土料理がありました。雑穀や栃の実を混ぜ合わせて作られた、飢饉の際の貴重な食糧です。ある言い伝えによると、甘酒村のある家族は、食べ物が尽き果てたため、子どもにあっぽを分けてもらいに行くよう言いつけました。そして、子どもが戻ってくるまでの間に穴を掘り、戻ってきた子どもに「食べ物を半分あげるから穴の中に入りなさい」と言って生き埋めにしたというのです。家族の生存をかけた、あまりにも残酷な選択でした。

食糧歴史研究家の山田一郎氏(仮名)は、「飢饉という極限状態において、人々は想像を絶する苦しみを味わったことでしょう。倫理的な判断が麻痺し、生き残るためであればどんな手段でも選ばざるを得なかった時代だったと言えるでしょう」と語っています。

この甘酒村の物語は、飢饉の恐ろしさを改めて私たちに突きつけます。豊かな時代に生きる私たちは、過去の悲劇から学び、食の大切さを改めて認識する必要があるのではないでしょうか。