日本の裁判所、そして裁判官と聞くと、どのようなイメージを思い浮かべるでしょうか?公平、中立、誠実、優秀といった言葉が頭に浮かび、信頼できる存在と考える方が多いかもしれません。しかし、元裁判官であり法学の権威でもある瀬木比呂志氏の著書『絶望の裁判所』では、日本の裁判所の恐ろしい実態が描かれています。本稿では、その内容を基に、正義よりも優先される「事件処理」と裁判所内のヒエラルキー構造について探っていきます。
事件処理最優先の裁判所
裁判官のイメージ
瀬木氏によると、多くの裁判官にとって重要なのは、事件を迅速かつ円滑に「処理」すること。庶民の些細な争いには無関心で、冤罪事件も軽視される傾向があるといいます。それよりも、権力や政治家、大企業などの意向に沿った秩序維持、社会防衛が優先されるというのです。
迅速な事件処理の実態
裁判官は、事件を「処理」することに集中し、真実の追求よりも効率性を重視しているという指摘があります。例えば、証拠の精査がおろそかになり、被告人の主張が十分に聞かれないまま判決が下されるケースもあるようです。これは、限られた時間と資源の中で多くの事件を処理しなければならないという裁判所の現状が背景にあると考えられます。
裁判所内のヒエラルキーと地家裁所長の微妙な立場
裁判所の内部
地家裁所長は、裁判官や職員への影響力は大きいものの、その権限は限定的です。最高裁判所事務総局や高裁事務局の意見、特に前者の意向は絶対であり、地家裁所長といえども逆らうことは難しいとされています。
上層部への忖度
瀬木氏によれば、事務総局に対して異議を唱えた地家裁所長は、その後の人事で不利な扱いを受ける可能性が高いとのこと。そのため、多くの地家裁所長は上層部の意向に沿う行動をとるようになり、真に公正な判断ができなくなってしまうという悪循環に陥っているのです。司法制度改革が叫ばれる中、このような裁判所内のヒエラルキー構造は、司法の独立性と公正さを揺るがす大きな問題と言えるでしょう。
まとめ
日本の裁判所では、「事件処理」が最優先され、真の正義が置き去りにされている可能性が指摘されています。また、裁判所内のヒエラルキー構造も、公正な司法の実現を阻む要因となっていると考えられます。瀬木氏の著書は、日本の司法制度の抱える問題点を浮き彫りにし、私たちに改革の必要性を訴えかけています。