高知県黒潮町が巨大防潮堤ではなく「逃げる」を選んだ理由とは?~南海トラフ巨大地震への備え~

黒潮町の海岸線に沿って4kmも続く美しい砂浜。しかし、この穏やかな風景の裏には、南海トラフ巨大地震という巨大な脅威が潜んでいます。想定される津波高は、国内最大級の34.4m。この未曾有の危機に際し、黒潮町は巨大防潮堤の建設ではなく、「逃げる」という選択をしました。この記事では、その決断に至った背景、そして自然災害と共存する私たちの未来について探っていきます。

34.4mの津波、そして住民の沈黙

東日本大震災の記憶も新しい2012年、内閣府中央防災会議から発表された南海トラフ巨大地震の被害想定は、黒潮町に衝撃を与えました。最大震度7、最大津波高34.4m、そして津波到達までの時間はわずか2分。想像を絶する数値に、町幹部は言葉を失いました。

黒潮町の砂浜黒潮町の砂浜

当時の情報防災課長であり、後に町長を務めた松本敏郎氏は、発表直後の役場の様子を「お通夜のような雰囲気」と表現しています。マスコミの取材陣が詰めかける中、町幹部は住民からの問い合わせに備えて待機していました。しかし、予想に反して電話は鳴りませんでした。 なぜでしょうか?

住民の諦め、そして新たな防災計画の幕開け

松本氏によれば、住民はあまりにも巨大な津波高に、避難を諦めてしまったというのです。34.4mという数値は、住民の心に絶望を植え付けてしまったのかもしれません。この状況を打破するため、黒潮町は従来の防災計画を見直し、「逃げる」ことを最優先とした新たな戦略を打ち出すことになります。

巨大防潮堤の限界、そして「逃げる」という選択

東日本大震災以降、津波対策として巨大防潮堤の建設が進められています。しかし、黒潮町は、巨大防潮堤では町を守りきれないと判断しました。34.4mという津波高は、どんなに巨大な防潮堤を建設しても、完全に防ぐことは不可能です。また、防潮堤に過度に依存することは、住民の避難意識を低下させる危険性も孕んでいます。

そこで黒潮町は、「ハード対策」ではなく「ソフト対策」に重点を置くことを決断しました。つまり、巨大な構造物で津波を防ぐのではなく、住民一人ひとりが迅速に避難することで、被害を最小限に抑えるという戦略です。「逃げる」という選択は、住民の意識改革、そして地域社会全体の協力が不可欠な、困難な挑戦でもありました。

災害と共存する未来を目指して

黒潮町の選択は、自然災害と共存していくための、新たな防災の在り方を示唆しています。防災とは、単に構造物を建設することではなく、地域社会全体で災害に立ち向かうための知恵と工夫を凝らすことなのです。 黒潮町の取り組みは、他の地域にとっても貴重な教訓となるでしょう。

まとめ:自助・共助の精神で災害に備える

黒潮町の「逃げる」という選択は、自然の脅威と向き合う私たちの姿勢を問いかけています。巨大な津波から身を守るためには、行政の取り組みだけでなく、住民一人ひとりの防災意識の向上が不可欠です。自助・共助の精神を大切にし、地域社会全体で災害に備えることが、私たちの未来を守ることへと繋がっていくのではないでしょうか。