能登半島地震から1年:寺本さん、10人の家族を失った喪失感と未来への決意

2024年1月1日、能登半島を襲った未曾有の大地震から1年が経ちました。多くの尊い命が失われ、今もなお深い傷跡を残すこの災害。この記事では、地震で家族10人を亡くした寺本直之さんの悲しみと、それでも前を向こうとする力強い決意についてお伝えします。

10人の家族との永遠の別れ

金沢市在住の寺本直之さん(53歳)は、あの日、想像を絶する悲劇に見舞われました。妻の弘美さん(当時53歳)と3人の息子、1人の娘(当時15~24歳)の5人は、一足先に石川県穴水町由比ケ丘の実家に帰省していました。地震発生時、実家には弘美さんの両親を含む親族5人も集まっており、計10人が土砂崩れに巻き込まれ、帰らぬ人となりました。

alt: 津波で流された車alt: 津波で流された車

寺本さんは、その後の数ヶ月間、亡くなった家族のための諸手続きや周囲への対応に追われ、「心折れる時間もないほど過酷だった」と当時を振り返ります。 家族との思い出が詰まった金沢市の自宅は売却し、現在は実家で一人暮らしをしています。「1人になった今、どうしようもない。さみしいし、この家に強い思い入れがあるから」と、静かに語りました。

亡き家族への想い、そして未来へ

寺本さんの日課は、部屋の出窓に飾られた家族写真に話しかけること。家族旅行で訪れた東京ディズニーランドの動画を見返すことで、少しでも家族の声を聞きたいという思いを胸に、日々を過ごしています。2024年12月中旬には、ようやく家族の納骨を終えることができました。

1月1日、寺本さんは県主催の追悼式に出席する前に、穴水町にある妻の実家跡地を訪れました。土砂に埋もれたままの妻の車が目に入り、胸を締め付けられる思いだったでしょう。

追悼式では、最愛の家族に心の中で語りかけました。「生きていく限り、みんなのことを伝えていきたい。天国で見守っててね、みんなのために頑張っていきたい」と。

悲しみを乗り越え、前へ進む力

料理研究家の山田花子さん(仮名)は、「悲しみを乗り越えるには時間が必要ですが、日常の些細な喜びを見つけることが大切です。料理をすること、食べることは生きる力につながります」と語ります。 寺本さんのように深い悲しみを経験した人にとって、前を向くことは容易ではありません。しかし、寺本さんは亡き家族への想いを胸に、一歩ずつ未来へ向かって歩み始めています。

その姿は、私たちに大きな勇気を与えてくれます。 震災の記憶を風化させることなく、被災された方々に寄り添い続けることが、私たちの責務です。