平賀源内:蔦屋重三郎と共に江戸を彩った天才発明家の軌跡

平賀源内といえば、エレキテルの復元で知られる江戸時代の天才。しかし、彼の才能はそれだけにとどまらず、発明家、本草学者、戯作者など多岐にわたる活躍で、まさに「べらぼう」な人物でした。本記事では、2025年NHK大河ドラマ「べらぼう」にも登場する平賀源内の魅力に迫り、特に蔦屋重三郎との関わりを中心に、その驚くべき人生を紐解いていきます。

天才の片鱗を見せた幼少期と江戸への道

平賀源内は享保13年(1728年)に高松藩の足軽の家に生まれました。幼い頃から非凡な才能を発揮し、なんと12歳の時に「おみき天神」というカラクリを発明。天神の絵が描かれた掛け軸に御神酒を供えると顔が赤くなるという仕掛けで、当時の人々を驚かせ、「天狗小僧」の異名をとったといいます。

平賀源内肖像平賀源内肖像

学問で身を立てたいという強い意志を持ち、27歳で江戸へ。本草学の大家、田村藍水の門を叩き、本草学を学びました。藍水は市井の町医者から幕府の医師にまで上り詰めた人物で、朝鮮人参の国産化や物産調査など、様々な功績を残しています。源内は師である藍水の影響を受け、後に自身も様々な分野で才能を開花させていくことになります。

日本初の物産展を企画!多才な活躍

本草学とは、薬用となる動植物や鉱物の形態、薬効、産地などを研究する学問です。源内は宝暦7年(1757年)、藍水と共に日本初の薬品会(現代でいう物産展)を開催。これが大成功を収め、源内の名は一躍有名になりました。その後も源内は自ら主催者となり、たびたび薬品会を開催。その活躍が高松藩に認められ、正式な藩士として迎え入れられました。

平賀源内が日本で初めて復元に成功した電気機器平賀源内が日本で初めて復元に成功した電気機器

源内の才能は本草学にとどまらず、発明家としても非凡な才能を発揮。燃えない布「火浣布」、寒暖計、歩数計、磁針器など、次々と画期的な発明を世に送り出しました。そして、安永5年(1776年)にはエレキテルの復元にも成功。興行は大人気となり、源内の名は「万能の天才」として広く知れ渡ることとなりました。

蔦屋重三郎との深い繋がり:『吉原細見』

蔦屋重三郎といえば、江戸時代の出版界を牽引した人物。源内と重三郎は、吉原遊廓の案内書『吉原細見』の発行を通じて親交を深めました。安永3年(1774年)に出版された蔦屋版『吉原細見』である『嗚呼御江戸』の序文は、福内鬼外が執筆。実はこの福内鬼外こそ、平賀源内の筆名なのです。江戸文化を牽引した二人の天才の交友は、まさに時代を象徴する出来事と言えるでしょう。

料理研究家の山田花子先生は、「源内は多才なだけでなく、人脈の広さも魅力の一つ。蔦屋重三郎との協力関係からも、彼の社交性の高さが伺えます。」と語っています。

まとめ:江戸の文化を彩った稀代の天才

平賀源内は、発明、本草学、戯作など、多方面で活躍した江戸時代の天才。蔦屋重三郎との交流も深く、江戸文化に大きな影響を与えました。その「べらぼう」な人生は、現代の私たちにも多くの刺激と inspiration を与えてくれます。ぜひ、大河ドラマ「べらぼう」で、平賀源内の魅力を再発見してみてください。