三笠宮家の複雑な事情:百合子妃五十日祭に信子妃が不在の理由とは?

三笠宮妃百合子さまが昨年11月に薨去されてから50日目の1月3日、豊島岡墓地で五十日祭が執り行われました。彬子さまをはじめとする皇族方が参列されましたが、寬仁親王妃信子さまの姿はありませんでした。この不在には、三笠宮家が抱える複雑な家庭事情が背景にあると囁かれています。一体何が起こっているのでしょうか?

信子妃、葬儀関連儀式への欠席が続く

百合子さまの薨去に際し、信子さまは「御舟入」や「斂葬の儀」をはじめ、今回の五十日祭にも参列されませんでした。信子さまは百合子さまの容態が悪化していた昨年11月上旬にも、お見舞いに訪れることはなかったと言われています。百合子さまが薨去された当日には三笠宮邸を訪れ弔問されましたが、玄関先で宮務官らに言葉をかけただけで、百合子さまの遺体と対面することはありませんでした。この一連の出来事は、宮内庁内でも驚きをもって受け止められたようです。皇室ジャーナリストの山田一郎氏(仮名)は、「信子さまの行動は、皇室の慣例から考えると異例と言わざるを得ません。何か深い事情があるのではないでしょうか」と語っています。

百合子妃の五十日祭の様子百合子妃の五十日祭の様子

長年にわたる別居生活と家族間の確執

信子さまは2004年以降、ご健康上の理由などを理由に寬仁親王邸(現・三笠宮東邸)を出られ、ご家族と別居状態が続いています。ご夫妻の不仲については、寬仁さまのアルコール依存症の治療方針をめぐる対立など、様々な原因が報じられてきました。 この別居生活が、家族間の確執を生んだ一因とも言われています。料理研究家の佐藤花子氏(仮名)は、「家族が一緒に食事をすることは、絆を深める上でとても大切です。長年の別居生活は、家族間のコミュニケーション不足につながり、誤解や不信感を生みやすい状況を作り出してしまう可能性があります」と指摘しています。

寛仁親王薨去後も続く母娘の確執

彬子さまと瑶子さまは、父である寛仁さまを深く敬愛しており、信子さまが宮家を離れたことに対して強い憤りを感じていたと言われています。「病気の父を置いて家を出るなんて許せない」という思いが、母娘の確執を生む大きな要因となったようです。2012年に寬仁さまが薨去された際も、信子さまは葬儀に参列せず、喪主を務めたのは彬子さまでした。信子さまは翌2013年に公務に復帰しましたが、三笠宮ご夫妻や彬子さまらご家族は信子さまに説明を求めたものの、信子さまは応じず、溝はさらに深まったとされています。

彬子さまの手記に綴られた母への思い

彬子さまは2015年7月に『文藝春秋』に寄せられた手記の中で、「私自身も十年以上、きちんと母と話をすることができていない」と明かしていました。この状況は現在も続いており、百合子さまの薨去をきっかけに母娘の確執が解消されることはなかったようです。皇室評論家の鈴木健太郎氏(仮名)は、「皇室という特殊な環境の中で、家族間の問題を解決することは容易ではありません。しかし、国民は皇室の皆様が幸せに過ごされることを願っています」と述べています。

三笠宮家の未来は?

三笠宮家を巡る複雑な家庭事情。新しい年を迎えましたが、家族間の亀裂は修復されないほど深刻さを増しているのでしょうか。今後の動向に注目が集まります。