エリザベス女王、側近のスパイ容認を10年近く知らされず 機密文書が明らかに

英国のエリザベス女王の廷臣の一人、アンソニー・ブラント氏がソ連のスパイであった事実を、女王が10年近くも知らされていなかったことが、新たに機密解除されたMI5の文書から明らかになりました。女王の冷静な反応、スパイ活動の背景、そして英国社会への衝撃など、歴史の闇に迫ります。

美術史家の仮面の裏に隠された二重生活

アンソニー・ブラント氏は、王室美術コレクションを監督する「サーベイヤー・オブ・ザ・クイーンズ・ピクチャーズ」という高位の役職に就いていた美術史家でした。しかし、その華やかな肩書きの裏には、ソ連のスパイという驚くべき顔が隠されていました。1930年代からスパイ活動を行っていたブラント氏は、1964年にその事実を自白しました。

エリザベス女王(2021年10月2日撮影)エリザベス女王(2021年10月2日撮影)

ところが、MI5の機密文書によると、エリザベス女王がこの重大な事実を知らされたのは、ブラント氏の自白から約9年も後のことでした。女王は、この衝撃的な事実を「非常に冷静に、驚くことなく」受け入れたとされています。当時の英国社会における情報管理の実態、そして女王の揺るぎない composure が垣間見えるエピソードです。

ケンブリッジ・ファイブと冷戦の影

ブラント氏は、ケンブリッジ大学在学中にソ連に勧誘され、スパイ活動を開始しました。彼は、ドナルド・マクリーン、ガイ・バージェス、キム・フィルビーといった他の二重スパイと共に、「ケンブリッジ・ファイブ」として知られるスパイ網の一員でした。冷戦の緊張感が高まる中、彼らは英国の機密情報をソ連に流出させ続けました。

ブラント氏は、第二次世界大戦中にはMI5の上級職員を務めており、KGBに大量の機密情報を提供していたとされています。当時の国際情勢、そしてスパイ活動がもたらした影響について、歴史専門家の佐藤健太郎氏は次のように述べています。「ケンブリッジ・ファイブの活動は、冷戦の行方に大きな影響を与えただけでなく、西側諸国の情報機関に深刻なダメージを与えました。」

情報公開と社会への衝撃

ブラント氏のスパイ活動は、1979年に当時のマーガレット・サッチャー首相によって公にされました。この事実は英国社会に大きな衝撃を与え、情報機関の信頼性を揺るがす事態となりました。ブラント氏は、情報公開から4年後に亡くなりました。

この事件は、冷戦時代の諜報活動の闇を浮き彫りにするだけでなく、情報管理の重要性、そして国家安全保障の脆さを改めて私たちに問いかけています。