1995年1月17日、未曾有の大災害、阪神・淡路大震災が神戸・阪神地域と淡路島北部を襲いました。マグニチュード7.3という巨大地震は、多くの尊い命を奪い、街を壊滅状態に陥れました。この未曾有の災害の中で、当時の貝原俊民兵庫県知事のリーダーシップと決意、そして現在の斎藤元彦知事の防災への取り組みについて、改めて振り返ってみましょう。
貝原俊民知事の「命を投げ出す」覚悟
震災から12日後の臨時県議会で、貝原知事は「知事は県民の命について無過失無限大の責任を持たなければならない」と述べ、自らの命を投げ出す覚悟を示しました。これは、沖縄県最後の官選知事、島田叡氏の姿勢に感銘を受けた貝原知事の強い責任感の表れでした。戦火の中で県民と共に最後まで戦い抜いた島田氏の生き様は、貝原知事の心に深く刻まれ、震災という未曾有の危機に立ち向かう指針となったのです。
alt 阪神淡路大震災の被災地の様子。神戸市長田区で火災が発生し、煙が立ち上っている。
貝原知事の辞任:復興への道筋と政治的戦略
震災から6年後、貝原知事は4期目途中で辞任を表明しました。「復興の道筋を付ければ辞任する」という震災当初からの決意を実行に移したのです。 この辞任には、副知事だった井戸敏三氏への後継指名という政治的戦略も含まれていたとされています。しかし、震災という大きな責任を背負った知事としてのけじめ、そして未来への希望を託すという意味合いも大きかったのではないでしょうか。
斎藤元彦知事:防災への取り組みと再選
そして現在、斎藤元彦知事が兵庫県政のかじ取りを担っています。斎藤知事は、貝原知事の築いた復興の礎の上に立ち、更なる防災対策の強化、そして地域経済の活性化に尽力しています。県民の安全・安心を守るという知事としての責任を胸に、日々奔走する姿は、まさに「県土の一木一草にまで責任が及ぶ」という貝原知事の言葉を体現していると言えるでしょう。
防災意識の向上と地域連携の強化
斎藤知事は、防災教育の推進、避難訓練の実施、そして地域コミュニティとの連携強化など、多岐にわたる防災対策を推進しています。過去の教訓を風化させることなく、未来への備えを怠らない姿勢は、県民からの信頼も厚いと言われています。
阪神・淡路大震災の教訓を未来へ
阪神・淡路大震災は、私たちに防災の重要性を改めて認識させました。そして、知事というリーダーシップの重要性も浮き彫りにしました。貝原知事の決意、斎藤知事の取り組み、そして多くの関係者の尽力により、兵庫県は復興を遂げ、更なる発展を続けています。 この経験と教訓を未来へと繋ぎ、災害に強い社会を築いていくことが、私たちの責務と言えるでしょう。
まとめ:知事の責任と未来への希望
貝原知事の「命を投げ出す」覚悟、そして斎藤知事の防災への取り組みは、まさに知事の責任の重さを物語っています。 震災の記憶を風化させることなく、教訓を未来へ繋いでいくことが、私たち一人ひとりの責任です。 安全・安心な社会の実現に向けて、共に歩んでいきましょう。