飯島ゆりえ、日本人女性ボディビルダーの先駆者:運動不足から生まれた「筋肉美への挑戦」

日本人女性初のプロフェッショナル・ボディビルダーであり、現在は画家としても活躍する飯島ゆりえさん。彼女がボディビルという当時としては異例の道を選んだのは1982年のことでした。女性が積極的にウェイトトレーニングを行い、筋肉美を追求する習慣がまだ根付いていなかった時代に、いかにしてこの未踏の領域に足を踏み入れたのか。その挑戦の始まりについて、グラフィックデザイナーとして多忙な日々を送っていた飯島さんに話を聞きました。

1982年、未開の地へ:ボディビルとの出会い

飯島さんがボディビルを始めたきっかけは、極めて日常的な「運動不足」でした。当時の仕事はグラフィックデザイナーで、残業や土曜出勤は当たり前。締め切りに追われる日々の中で、30歳を過ぎて「何か体を動かさなければ」という思いが募っていったといいます。

そんなある日、池袋の西武デパートでたまたま目にしたカルチャースクールのパンフレットに、「女性のためのビューティーボディビル」という週1回の講座が目に飛び込んできました。「これは何だろう?」という純粋な興味が、彼女をボディビルの世界へと導く最初の扉を開いたのです。当時、女性が筋肉を鍛えるという発想自体が珍しく、まさに未開の分野への挑戦でした。

なぜボディビルを選んだのか:個人的な動機と利点

数ある運動の中からなぜ「ボディビル」だったのか、飯島さんは笑いながら振り返ります。特に太っていたわけではなく、単に運動不足を解消したいという思いが強かったそうです。当時流行していたテニスクラブのような団体スポーツや球技は、学生時代から苦手意識があり、また土日開催のものが多く、多忙な彼女には通うことができませんでした。

日本人女性初のプロボディビルダー、飯島ゆりえさんのボディビル時代の写真。鍛え抜かれた筋肉とポーズが特徴。日本人女性初のプロボディビルダー、飯島ゆりえさんのボディビル時代の写真。鍛え抜かれた筋肉とポーズが特徴。

飯島さんが惹かれたのは、「一人でできる」という点でした。誰かと合わせる必要がなく、自分のペースで取り組めることが、彼女の性格やライフスタイルに合致していたのです。また、午前中に開講される講座だったことも大きな決め手となりました。当時はフリーランスのような契約社員として働いており、比較的時間の融通が利いたため、週に一度、池袋へ通ってから赤坂のデザイン事務所へ出勤するというスタイルが可能だったのです。こうして、一見すると偶然の出会いから、日本人女性ボディビルの歴史が幕を開けました。

飯島ゆりえさんのボディビルへの挑戦は、単なる運動不足解消という個人的な動機から始まりました。しかし、それは同時に、女性が体を鍛え、筋肉美を追求するという新たな価値観を日本社会に提示する、まさにパイオニアとしての第一歩となったのです。当時としては異例の選択が、いかにして彼女を日本人女性初のプロボディビルダーへと導いていくのか、その後の歩みにも注目が集まります。

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