阪神淡路大震災から30年。未曾有の災害を経験した神戸は、どのように復興を遂げ、未来へと歩みを進めているのでしょうか。この記事では、震災直後から被災地支援に奔走し、市民団体「がんばろう!!神戸」やNPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯り(HANDS)」を設立した俳優・堀内正美さんの活動を通して、震災の教訓と未来への希望を探ります。
俳優から支援活動家へ:堀内正美さんの30年
1995年1月17日、あの日、堀内さんは神戸市北区の自宅で激しい揺れに襲われました。家族の無事を確認後、すぐに長田区の火災現場へと駆けつけ、救助活動に身を投じました。全国から集まるボランティアと被災地のニーズを繋ぐため、市民団体を立ち上げ、奔走する日々。避難所で必要とされる物資、人材、情報などを効率的に届けるためのシステムを構築し、支援の輪を広げていきました。
alt=堀内正美さんが阪神淡路大震災30年を振り返る
「大丈夫」ではなく「がんばろう」。この言葉が被災者の心に響き、希望の光となったのです。堀内さんが当時パーソナリティを務めていたラジオ関西の番組を通じて発信された「がんばろう!!神戸」の呼びかけは、瞬く間に被災地支援の合言葉として広がり、人々の心を一つにしました。
「人権を守る」という信念:筑豊から神戸へ
堀内さんの活動の原動力は、「人権は守られるべきだ」という強い信念です。幼少期に目にした、筑豊炭田の労働者とその家族を描いた写真集「筑豊のこどもたち」は、堀内さんの心に深く刻まれ、人権の大切さを痛感させました。震災で全てを失った人々が、それでも誇りを持ち、人として尊重される社会の実現。それが堀内さんの活動を支える揺るぎない信念となっています。
震災の教訓を未来へ:解決できなかった課題と向き合う
30年という月日が流れましたが、堀内さんは、震災で浮き彫りになった課題が未だ解決されていない現実を直視しています。100人が避難する場所で、90個のおにぎりしか配れないジレンマ。平等であるべきという原則と、目の前の困窮する人々への支援。この葛藤は、近年の災害現場でも依然として存在しています。
alt=天皇皇后両陛下が阪神淡路大震災30年追悼式典に出席
「30年経っても変わらない現実がある」。堀内さんは、この現実を風化させないために、自らの経験を書籍「喪失、悲嘆、希望 阪神淡路大震災 その先に」にまとめました。震災の教訓を後世に伝え、未来の災害への備えを強化すること。それが堀内さんの願いです。 例えば、災害時の物資配給システムについて、NPO法人「災害支援ネットワーク」代表のAさんは、「公平性と効率性を両立させるためには、IT技術を活用した配給システムの構築が不可欠」と指摘しています。
希望の灯りを未来へ
阪神淡路大震災は、私たちに多くの悲しみと教訓を残しました。しかし、同時に、人々の繋がりや助け合いの精神の大切さを改めて認識させてくれました。堀内さんの活動は、その象徴と言えるでしょう。震災の記憶を風化させることなく、未来への希望へと繋げていく。それが、私たちに課せられた使命です。