1995年1月17日、未曾有の大災害、阪神・淡路大震災が日本を襲いました。震度7という観測史上初の揺れが神戸を中心に甚大な被害をもたらし、多くの尊い命が奪われました。あれから30年。復興は進み街の風景は一変しましたが、あの日の記憶は今も鮮明に残っています。今回は、震災の象徴的な出来事の一つ、「宙づりバス」の奇跡の生還劇と、運転手福本良夫さんの当時の証言を振り返り、改めて防災の大切さを考えたいと思います。
阪神高速道路の崩落、そして「宙づりバス」
震災当時、世界中に衝撃を与えた写真の一つが、崩落した阪神高速道路3号神戸線で宙づりになった観光バスの姿でした。まるで映画のワンシーンのような光景は、震災の凄まじさを物語る象徴的なものとなりました。このバスの運転手、福本良夫さんは、まさに九死に一生を得た奇跡の人物です。
ベテラン運転手が語る、あの瞬間の恐怖
当時52歳、運転歴26年のベテラン運転手だった福本さんは、発生直後のインタビューで、その時の恐怖を語っています。「前方がピカッと光ったと思ったら、突然道路が揺れ出した」と福本さん。ハンドルを取られるほどの激しい横揺れの中、無我夢中でブレーキを踏み込んだと言います。
alt="崩落した阪神高速道路で宙づりになった観光バス"
水銀灯が消え、激しい縦揺れが始まり、道路がまるで波打つようにうねったそうです。60キロで走行中だったバスは、急ブレーキのおかげで何とか停止しましたが、次の瞬間、目の前の道路が消え、車体が下に叩きつけられたと言います。「落ちた!アカン!」と思った福本さんは、思わず目をつむってしまったそうです。
奇跡の生還、そして防災への意識
福本さんのバスは、奇跡的に崩落した高速道路の橋桁に引っかかり、宙づりの状態で止まりました。まさに間一髪の生還劇でした。この出来事は、多くの人々に希望を与え、震災の悲惨さの中で一筋の光となりました。
震災から30年、防災の意識はさらに高まり、様々な対策が取られています。しかし、自然災害の脅威は常に存在し、いつどこで起こるかわかりません。福本さんの体験は、私たちに改めて防災の大切さを教えてくれます。日頃から備えを万全にし、いざという時に冷静に行動できるよう、心構えをしておくことが重要です。
震災の教訓を未来へ
阪神・淡路大震災は、日本の防災意識を大きく変える契機となりました。建物の耐震化や防災訓練の普及など、様々な取り組みが進められています。しかし、それでも自然の力の前では人間の無力さを痛感させられます。
福本さんの証言をはじめ、震災の経験を語り継ぎ、教訓を未来に繋げていくことが、私たちにできる大切なことではないでしょうか。風化させてはいけない記憶を胸に、これからも防災への意識を高めていきましょう。