国民的アイドルグループSMAPの元リーダー、中居正広さん。芸能界引退という衝撃的なニュースを受け、地元・神奈川県藤沢市では様々な声が上がっています。地元愛を貫いてきた彼に対する複雑な思い、そして幼少期からスターへの階段を駆け上がった軌跡を辿ります。
藤沢で育った少年時代:鵠沼から辻堂へ
1972年、藤沢市鵠沼に生まれた中居正広さん。3人兄弟の末っ子として、活発な少年時代を過ごしました。小学校4年生まで鵠沼で暮らし、その後辻堂へ転居。小学校の卒業文集には、幼いながらもリーダーシップの片鱗が垣間見えます。
鵠沼小学校に入学。幼稚園より、二倍、三倍も大きい校舎や運動場。でもなんとなく、幼稚園よりきびしいかんじがして、少し心配だった
六年は、最高学年。小さい子のめんどうを見なければならない
近所のガキ大将として知られていたというエピソードも。幼い頃から人を惹きつける魅力、そして責任感の強さが伺えます。
中居正広の幼少期
ジャニーズ入りのきっかけとアイドルへの道
中学校時代、旧ジャニーズ事務所に所属する生徒がいたことが、中居さんの人生を大きく変えるきっかけとなりました。友人たちと応募したオーディションで、ただ一人書類選考を通過。1987年、ジャニーズ事務所に入所し、華やかな世界へと足を踏み入れたのです。
学友の証言:既に漂っていたスターの風格
当時の中居さんを知る同級生は、既にアイドルの片鱗を感じていたと語ります。
中学3年生の頃、クラスの連絡網で中居の前の番だった子が「中居の家には電話できないんだ」とぼやいていました。既にジャニーズだったので人気があり、仕事も忙しかったため、先生か親が電話しないようにと釘を刺されていたのでしょう。
女の子にも大人気でした。学園祭には他校の女子生徒が中居目当てで押し寄せ、黄色い歓声を上げていました。特定の友人とは仲良くしていましたが、そうでない人たちにとっては既に雲の上の存在でした。
芸能界デビューからわずか1年でSMAPのリーダーに抜擢。周囲の大人は既に彼をスターとして扱っていたようです。
私の娘は中居くんの4つ下の後輩です。彼は中学時代にバスケ部でしたが、卒業後も仕事がない時はOBとして顔を出していました。そんな時は先生から「中居くんが来るけど見にこないか」「ただしサインはもらっちゃだめよ」と生徒に連絡があったそうです。(中居さんと同じ中学校OBの母親)
引退への複雑な思いと地元の反応
地元・藤沢市では、中居さんの引退に複雑な思いを抱く人が少なくありません。「地元の星」として誇りに思っていた一方で、今回の騒動を受け「地元の恥」だと考える人もいるようです。
ある同級生は、「“地元の恥”だと思われても仕方ない」と厳しい言葉を口にしました。一方で、長年の活躍を称え、静かに見守りたいという声も聞かれます。藤沢市民にとって、中居正広さんは今も特別な存在であり続けているのです。
今後の動向に注目
今後の動向が注目される中居正広さん。地元・藤沢市は、彼の決断を複雑な思いで見守っています。どのような道を選ぼうとも、藤沢で育った少年の物語は、これからも語り継がれていくことでしょう。