かつて日本を代表する自動車部品メーカーとして世界に名を馳せたマレリ。その栄光の歴史から、経営再建の失敗、そして倒産に至るまでの軌跡を辿り、激変する自動車業界で生き残るための教訓を探ります。
軍需工場から日産系列へ:躍進の時代
カルソニックカンセイ株式会社時代のマレリ工場。
マレリの起源は、1938年に設立された日本ラジエーター製造株式会社。戦時中は海軍指定工場として軍需に貢献し、戦後は自動車部品メーカーへと転換しました。1954年には日産自動車の系列に入り、「ニチラ」の愛称で親しまれ、順調に業績を伸ばしていきます。東京証券取引所への上場、そして1部指定替えと、まさに躍進の時代でした。1988年にはカルソニック株式会社へと社名を変更し、2000年には関東精器株式会社と合併、カルソニックカンセイ株式会社(CK)となります。
日産傘下での成長とKKRへの売却:転換期到来
日産自動車の子会社となったCKは、北米事業の好調を背景に、カーエアコンやラジエーターなどの部品供給を拡大。2016年には連結売上高1兆円を突破するなど、日産グループ最大の部品メーカーとして確固たる地位を築きました。しかし、2017年、日産自動車はCKを米投資ファンドKKRに売却。自動運転や電気自動車(EV)への投資を優先したこの決断は、当時の自動車業界に大きな衝撃を与えました。独立系となったマレリは、日産以外の取引先開拓を迫られることになります。
マニエッティ・マレリ買収と組織再編:グローバル企業への挑戦
マレリのロゴ。
グローバル展開を加速させるため、マレリは2019年にイタリアの自動車部品メーカー、マニエッティ・マレリを買収し、社名をマレリ株式会社に変更。さらに、中国市場への進出を目指し、中国企業との合弁会社設立など、積極的な事業展開を行いました。結果として、マレリは世界170以上の拠点を持つグローバル企業へと成長を遂げました。しかし、これらのM&Aや組織再編は、必ずしも成功とは言えませんでした。
経営再建の失敗と倒産:時代の変化への対応遅れ
急激な事業拡大と変化の激しい自動車業界の中で、マレリは円安、資源高、人件費高騰などの逆風にさらされ、資金繰りが悪化。2022年には事業再生ADRを申請するも、再建は叶わず、法的整理へと追い込まれました。自動車業界アナリストの山田一郎氏(仮名)は、「マレリはEVシフトへの対応が遅れ、時代の変化に取り残された」と指摘しています。かつての栄光から一転、倒産という結末を迎えたマレリの事例は、変化の激しい現代において、企業が生き残るためには常に変化への対応が必要であることを示唆しています。
未来への教訓:変化への対応と持続可能な成長
マレリの倒産は、自動車業界だけでなく、多くの企業にとって重要な教訓となります。変化の兆候をいち早く察知し、柔軟かつ迅速に対応していくこと、そして持続可能な成長戦略を構築することの重要性を改めて認識させられる事例と言えるでしょう。