新年恒例の「歌会始の儀」が1月22日、皇居で行われた。皇室の歴史に詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「歌会始にずっと注目してきた人間としては、令和の時代になって以降、美智子上皇后が歌を寄せなくなったことがいささか寂しくもある」という――。
【画像】1969年9月、皇太子明仁親王、皇太子妃と3人の子供たち、徳仁親王、文仁親王、清子妃(当時)
■愛子内親王が初参加した今年の歌会始
1月22日、皇居では恒例の「歌会始の儀」が行われた。
今年の話題は、愛子内親王がはじめてそこに参加したことである。昨年も、歌は寄せているが、出席はしていなかった。
クリーム色のロングドレスで出席した愛子内親王は、大学で和歌を研究しただけに、詠み上げられる歌にじっと耳を傾けていたという。
愛子内親王が今年寄せた歌は、「夢」というお題にちなみ、「我が友とふたたび会はむその日まで追ひかけてゆくそれぞれの夢」というものであった。
その夢がいったいいかなるものなのか、国民の一人としてはそれを知りたいところだが、ネット上には「敬宮さまのお歌、若々しく繊細な感じがホロッとします」とか、「特に敬宮愛子さまの若く溌剌としたお歌に感銘を受けました」といった声が上がっていた(『女性自身』1月23日配信の記事より)。
天皇の御製は、「旅先に出会ひし子らは語りたる目見(まみ)輝かせ未来の夢を」というもので、全国を訪問した際に出会った子どもたちを詠ったものだった。
■美智子上皇后の巧みな歌の存在感
皇族としては、他に雅子皇后、秋篠宮夫妻、佳子内親王、常陸宮華子妃、高円宮久子妃、同承子女王が歌を寄せている。三笠宮百合子妃が亡くなったことで、寛仁親王の信子妃や彬子女王は、例年とは異なり今年は歌を寄せていない。
それもいささか寂しいことだが、歌会始にずっと注目してきた人間としては、令和の時代になって以降、美智子上皇后が歌会始に歌を寄せなくなったことは、何か重要なものが欠けてしまったように感じられてならない。それほど、上皇后の歌は巧みでもあり、また特別なものであった。
おそらく、そうしたことを感じているのは私だけではないだろう。それを見越したかのように、歌会始の儀が開かれる寸前、1月17日には、上皇后の『歌集 ゆふすげ』が岩波書店から刊行された。
上皇后の単独の歌集としては、1997年に『瀬音 皇后陛下御歌集』(大東出版社)が刊行されている。2014年には、釈・秦澄美枝『皇后美智子さま 全御歌』(新潮社)も刊行されている。今回の『歌集 ゆふすげ』は、そうしたものにはない未発表の歌がおさめられている。
解説は、細胞生物学者で歌人の永田和宏氏が行っている。永田氏は、宮内庁上皇職に対して、今も上皇后が歌を詠まれているのかを尋ねたところ、そうした未発表の歌があることが判明し、それが歌集の刊行に結びついた。