1月23日に芸能界を引退した中居正広氏に関連する一連の問題で、フジテレビが批判に晒されている。私は、若い頃、番組によく出演し、国際政治の解説を行うなど、たいへんお世話になったので、実に残念である。
かつては活力溢れた報道姿勢
多数の企業がスポンサーを降り、テレビ局として存亡の危機に立たされている。なぜ、そうなったのか。その背景を探ってみたい。
今回の騒動は、中居によって女性が性的被害を受け、それにフジテレビの幹部が関与していたとされる問題である。フジテレビは、事件が明るみに出た後も中居の出演を続けていた。
フジテレビでは、女性社員にタレントらを接待させる食事会が常態的に設定されていたともいう。
この問題をめぐる1月17日の港浩一社長らの記者会見では、撮影などに制限を設け、きちんと説明をせず、かえって火に油を注ぐ結果となった。TV局でありながら、TVカメラを排除するという言語道断の会見であった。
そこで、27日午後に、フジテレビの港社長、嘉納修治会長、遠藤龍之介副会長、そして、フジ・メディア・ホールディングスの金光修社長主席の下、記者会見をオープンな形で行った。港社長、嘉納会長は辞任する。
日枝相談役は出席しなかった。
お世話になったフジテレビ
私は、長期留学していた欧州から1978年に帰国し、母校の東大で教鞭を執ることになったが、当時は、「文化的知識人」と呼ばれる人々が言論界を牛耳る左翼全盛時代であった。新聞で言えば、朝日新聞、毎日新聞である。東西冷戦の厳しい状況をヨーロッパで見てきた私は、その異常さに愕然としたものである。産経新聞は右翼新聞と言われ、系列のフジテレビも同様に見られていた。
帰国後、東大助教授として研究・教育に邁進すると同時に、求められれば、マスコミでも内外の政治の解説を始めた。ユートピア的な理想論に終始することなく、厳しい世界の現実を直視する私のような現実主義者は、日本では不評で、マスコミからは敬遠された。
しかし、フジ・産経グループは、私に解説を任せてくれた。1989年6月に大学改革を巡って私は東大を去ったが、その年の秋にはベルリンの壁が崩壊した。また、翌年の8月にはイラクがクウェートを侵攻し、湾岸戦争が始まった。
この世界的大事件について、私はフジテレビの報道番組で度々解説したが、的確なコメントを出すことができた。崩壊直後のベルリンの壁にも行った。また、湾岸戦争については、他のテレビ局に出演していた「専門家?」たちは「戦争は起こらない」と否定していたが、私と畏友の故江畑謙介氏のみが反対の見解であった。その後の事態の展開は、我々の言う通りになった。
江畑も私も、そしてフジテレビも、いわば「少数派の矜恃」のようなもので、「平和は祈ればやってくる」などと妄想する進歩的文化人に冷や水を浴びせかけたのである。