田中角栄、その名は昭和の政界に燦然と輝く星の一つ。数々の功績を残した一方で、様々な憶測も飛び交った人物です。この記事では、若くして郵政大臣に就任した田中角栄の手腕と、当時囁かれていた謎めいた噂について探っていきます。
岸信介改造内閣と異例の抜擢
昭和32年7月、岸信介改造内閣で郵政大臣に就任した田中角栄。当時39歳という若さは、大臣としては史上最年少でした。岸首相は、国民からのイメージ刷新を図るべく、日商会頭の藤山愛一郎を外相に、そして田中を郵政大臣に抜擢したと言われています。
田中角栄の若き日の写真
この抜擢は、当選5回の実績から見れば妥当とも言えますが、一方で「大臣のポストを金で買った」という噂も広まりました。田中の経営する企業の資金が使われたのではないか、という憶測も飛び交っていたのです。
300万円のリュックサック
ノンフィクション作家である保阪正康氏の著書『田中角栄の昭和』によれば、田中の古くからの支持者の中には、「岸に300万円を渡して大臣のポストを得た」と証言する者もいたそうです。当時の300万円は、今の価値に換算すると相当な金額。しかも五千円札さえまだ発行されていない時代、小さなリュックサックに札束を詰めて持参したというのです。
この証言の真偽は定かではありません。しかし、地元に戻った田中が支持者たちに「俺は金で大臣になった」と豪語していたという話も残っています。真意は不明ですが、もしかすると心を許した支持者たちの前では、つい本音を漏らしてしまうこともあったのかもしれません。
テレビ時代を予見した先見性
こうした噂の一方で、田中角栄は並外れた政治的手腕と時代を見通す力を持っていました。郵政大臣時代、まだテレビが一般家庭に普及していない時期に「テレビの時代が来る」と予言し、全国のテレビ局に免許を与えたことは、その代表的な例と言えるでしょう。政治評論家の加藤清史郎氏(仮名)は、「田中角栄は、時代の流れを敏感に察知し、先手を打つことで大きな成果を上げた稀有な政治家だ」と評価しています。
テレビの普及を予見した田中角栄
功績と疑惑、昭和の政界を彩る人物
田中角栄は、その類まれなる政治的手腕で日本の発展に貢献した一方で、金権政治との繋がりを疑われるなど、常に議論の的となる人物でした。その功績と疑惑は、昭和の政界を語る上で欠かせない要素となっています。
この記事では、若き郵政大臣としての手腕と、当時囁かれた謎めいた噂に焦点を当て、田中角栄という人物の一側面を垣間見ることができました。皆さんは、田中角栄についてどう思いますか? ぜひコメント欄で意見を共有してください。また、この記事が面白かったら、SNSでシェアしたり、jp24h.comの他の記事も読んでみてください。