フジテレビ「やり直し会見」に見る日枝久氏の影響力:組織文化と権力構造の闇

フジテレビの10時間以上に及んだ「やり直し会見」。注目を集めたのは、長らく君臨してきた日枝久取締役相談役の存在です。今回、日枝氏の支配体制が組織文化にどのような影響を与え、現在の状況を招いたのか、その軌跡を辿ります。

日枝氏の台頭と「楽しくなければテレビじゃない」の功罪

1961年、早稲田大学卒業後、日枝氏は開局3年目のフジテレビに入社。報道部から編成、広報課へと異動を経験した後、1980年、鹿内春雄氏の副社長就任を機に編成局長に抜擢されます。翌年には「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズが誕生し、フジテレビの転換期を迎えました。

フジテレビ旧社屋フジテレビ旧社屋

このキャッチフレーズは、視聴者を楽しませるという本来の目的とは裏腹に、社内においては「自分たちが楽しくなければテレビじゃない」という風潮を生み出したと元社員は証言します。「セクハラですよ」と声を上げる社員は排除され、倫理的に問題のある行動も黙認される組織文化が形成されていったのです。

1992年の「政変」と日枝氏の絶対的権力の確立

1988年、50歳で社長に就任した日枝氏。しかし、真の権力を掌握したのは1992年、鹿内春雄氏急死後の「政変」でした。鹿内宏明氏の会長解任を主導した日枝氏は、このクーデターによって絶対的な権力基盤を築き上げます。

元重役は、日枝氏への反発が難しい理由を「クーデターの再現への恐怖」だと分析します。日枝氏に異議を唱えれば、過去の政変のように根回しによって孤立させられる可能性があるため、誰も声を上げることができなくなったのです。

2001年に会長に就任した日枝氏は、2005年のライブドアによるニッポン放送株買い占め騒動でも辣腕を振るい、その地位を不動のものとしました。メディア対応の先頭に立ち、難局を乗り越えたことで、彼の権威はさらに高まりました。

組織文化への影響と今後の展望

日枝氏のリーダーシップは、高視聴率番組の輩出など、フジテレビの黄金期を築いた一方で、組織内部には歪みを生み出しました。「楽しくなければテレビじゃない」という精神は、行き過ぎたエンターテイメント重視とコンプライアンス軽視の風土を醸成し、今回の「やり直し会見」へと繋がる一因となった可能性も否定できません。

今後のフジテレビは、過去の負の遺産を清算し、健全な組織文化を再構築していく必要があります。透明性のあるガバナンス体制の確立、コンプライアンス意識の徹底、そして多様な意見を尊重する風土の醸成こそが、信頼回復への第一歩となるでしょう。