愛子内親王のラオス公式訪問が示したことは何か。皇室史に詳しい島田裕巳さんは「皇室外交において愛子内親王が最もふさわしい存在であることを内外に示した。やはり『愛子天皇待望論』が鎮静化することは考えられない」という――。
【写真をみる】愛子内親王殿下のやわらかな微笑み(2022年撮影)
■振り袖は日本の皇室外交の象徴
愛子内親王の最初の単独での海外訪問はラオスとなり、11月17日夜に首都ビエンチャンに到着した。翌日の18日午前には、市内を視察した。ラオスの独立を記念して建てられた「凱旋門」を訪れ、上階から市内の眺望を見学した。
続いてラオス仏教の寺院であるタートルアン大塔を訪れた。凱旋門では平服だったが、寺院を訪問する際、愛子内親王はラオスの伝統衣装を身にまとった。上にはおる形の「スア」と、巻きスカートの「シン」である。そのことについて、愛子内親王は「ラオスの伝統文化を肌で感じることができて非常にうれしく思います」と語った。
午後、トンルン国家主席への表敬訪問をした際にも、その伝統衣装のままだった。ただ、その日の夜に開かれた副主席主催の晩餐会に出席したときには、淡いクリーム色に花をあしらった振り袖に着替えていた。
女性皇族が皇室外交をくり広げる上で、振り袖が果たす役割は極めて大きい。着物は日本にしかないもので、そのままで日本を象徴するからである。
■「準国賓」である待遇の証し
晩餐会で愛子内親王はスピーチを行ったが、その後半で、日本とラオスの友好的な関係を次の世代に引き継ぐ決意として、「今後、私たち若い世代が先人たちの歩みを受け継ぎ、両国の架け橋となって、ラオスのチャンパーや日本の桜のように美しい花を咲かせていくことができればと思います」と述べた。
チャンパーは、日本ではプルメリアとして知られている。白い花びらの中心が黄色などに染まっているところに特徴がある。晩餐会の前に、愛子内親王は「バーシー・スークワン」と呼ばれる手首に糸を巻くラオスの伝統的な儀式に臨んだが、その場にもチャンパーが飾られていた。
現在のラオスは社会主義の国だが、かつてのラオスは王国だった。バーシー・スークワンの儀式は、もともと一般庶民が行っていたもので、それが王室にも取り入れられ、戴冠式やロイヤルウェディングの際には大々的に行われた。
現在では国賓をもてなす際に行われるようになっており、今回愛子内親王が「準国賓」としての待遇を受けた証しと言えるものとなった。ラオスでは王政は廃止されたものの、その伝統が今も生きていると言えるのかもしれない。






