経済アナリストの森永卓郎氏が、67歳で逝去されました。膵臓がん、そして原発不明がんとの闘病の末、最後まで精力的に活動を続け、その知見と情熱を私たちに残してくれました。本稿では、森永氏の多岐にわたる活動を振り返り、その魅力に迫ります。
経済アナリストとして:鋭い分析と穏やかな語り口
東京大学経済学部卒業後、日本専売公社(現JT)、三井情報開発、三和総合研究所などで活躍した森永氏。日本初の「経済アナリスト」という肩書きを掲げ、『ニュースステーション』など数々の報道番組で活躍しました。久米宏氏との名コンビぶりも記憶に新しいところです。穏やかな語り口ながらも鋭い分析は、多くの視聴者を魅了しました。
熱狂的コレクター“モリタク”:グリコのおまけへの情熱
森永氏のもう一つの顔、それは熱狂的なコレクター“モリタク”。埼玉県所沢市にある「B宝館」には、1万点を超えるグリコのおまけが展示されています。そのコレクションはグリコ本社「江崎記念館」の所蔵数を凌駕するほど。ネットオークションなどを駆使して集めたコレクションは、森永氏にとって単なる収集品ではなく、時代を映す鏡であり、文化遺産でもあったのです。
森永卓郎さんとグリコのおまけコレクション
コレクター魂:年間900万円の赤字も厭わず
年間維持費1000万円、収益100万円という「B宝館」の運営は、まさに森永氏の情熱の賜物。奥様からは呆れられていたそうですが、2万5000種類と言われるグリコのおまけの全種制覇を目指し、コレクター魂を燃やし続けました。
“トカイナカ生活”:資本主義へのアンチテーゼ
晩年は「トカイナカ生活」を実践し、20坪の畑で野菜を育て、食料自給を目指しました。これは資本主義へのアンチテーゼであり、森永氏独自の社会実験でもありました。投資依存から脱却し、本当にやりたいことを追求する生き方は、多くの人々に影響を与えました。
森永卓郎さん マイクロ農園にて
最後まで貫いた信念:日本国民への最後の警告
森永氏は、生前整理を進める中でもタカラトミーの株だけは手放しませんでした。株主優待のトミカとリカちゃんへの愛着は、筋金入りのコレクターならではのこだわりでした。そして、最後まで日本の未来を憂い、令和恐慌を予言。株価暴落を予測し、日本国民に警告を発し続けました。
国士としての顔:憂国の情熱
石破首相(当時)の経済政策を批判しつつも、同じオタク気質を持つ者として、ある種の親近感を抱いていた森永氏。その根底には、国を憂える「国士」としての強い思いがありました。
森永卓郎氏の遺したもの
「何も残さず去る」と言いながらも、私たちに多くのことを残してくれた森永卓郎氏。経済アナリスト、コレクター、そして国士としてのその生き様は、これからも多くの人々の心に刻まれることでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。