江川卓、「怪物」伝説の始まり:作新学院時代の圧倒的活躍

1970年代の日本野球界を席巻した「怪物」江川卓。作新学院高校時代にその名を轟かせ、甲子園の舞台で全国の注目を集めました。その豪快かつ圧倒的なピッチングは、観衆を魅了するだけでなく、共に戦った仲間や対峙したライバルたちの人生をも変えていったと言われています。本記事では、ノンフィクション作家・松永多佳倫氏の著書『怪物 江川卓伝』を基に、江川卓の高校時代の足跡を紐解きます。

「長嶋、王よりも江川」全国が熱狂した怪物投手

1973年3月31日、宇都宮市営球場では、プロ野球の巨人対阪急のオープン戦が「春の日本シリーズ」と銘打たれて開催されていました。しかし、この地方での好カードにもかかわらず、観客の入りは芳しくありません。その理由は明白でした。栃木県民の視線は、選抜甲子園の二回戦、作新学院対小倉南戦に釘付けだったのです。当時の人々にとって、長嶋や王といったプロのスター選手よりも、作新学院の江川卓の存在がはるかに大きかったことを物語るエピソードと言えるでしょう。

北陽戦での衝撃的な快投以来、江川卓は一躍日本中の注目の的となりました。高校野球史においても歴代屈指の怪物投手と称され、テレビ、新聞、雑誌などの報道陣による熾烈な取材合戦が繰り広げられます。メディアは容赦なく、対戦相手である小倉南の真田忠夫監督に対し、「おたくは何個三振とられると思いますか?」と、挑発的ともとれる質問を浴びせるほどでした。甲子園は完全に江川を中心に回り始めていたのです。

甲子園のマウンドで力投する「怪物」江川卓(イメージ)甲子園のマウンドで力投する「怪物」江川卓(イメージ)

甲子園での圧倒的ピッチング:作新対小倉南戦

大会五日目の第二試合、作新学院対小倉南戦当日。朝からどんよりとした天気にもかかわらず、観客の出足は絶好調で、第一試合が始まる頃には一塁側スタンドを除くすべての入場券が完売していました。「大会五日目で入場券完売は、いまだかつてない。これも江川人気のおかげでしょう」と、大会関係者もその異例の人気ぶりに顔をほころばせていました。

当時の慣例として、試合開始前には関係者通路で両チームが向かい合って待機していました。小倉南ナインは、作新学院の江川という名前に気圧されたのか、まるで蛇に睨まれた蛙のように俯き、小さくなっていたと言います。この時点ですでに、試合前から勝負はついていたのかもしれません。

江川が空振りを奪うたびに、観客席からは「うおぉ〜」「すげえ」「おお」といった感嘆の声が入り混じって上がりました。小倉南は後半、速球対策としてバント戦法に出ましたが、江川の剛速球に押され、ことごとくフライアウトになってしまいます。江川攻略にはほど遠く、むしろ相手を助ける形となってしまいました。打たれたヒットは二回の内野安打のみで、七回までに江川は10個の三振を奪う圧倒的な投球を披露しました。

江川卓の伝説が始まった瞬間

この作新学院時代の活躍こそが、江川卓が「怪物」として語り継がれる伝説の始まりでした。彼の圧倒的な才能と存在感は、高校野球の枠を超え、日本全体を巻き込む一大ムーブメントを巻き起こしたのです。その後、法政大学、アメリカ留学、そして「空白の一日」と呼ばれる世紀のドラフト騒動を経て巨人に入団し、短くも濃密なプロ野球キャリアを歩むことになります。江川卓の野球人生は、常に話題の中心であり続け、彼のピッチングは多くの人々の記憶に深く刻まれています。